2024 11,24 01:05 |
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2009 08,08 12:00 |
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民主党の鳩山由紀夫代表が10日発売の月刊誌「Voice」9月号に、「私の政治哲学」と題した論文を寄稿していることが6日、分かった。鳩山氏は持論の「友愛」について「われわれが目指す『自立と共生の時代』を支える精神」と強調。「友愛が導く国家目標」として、「東アジア共同体」の創設を挙げ、アジア共通通貨の実現を訴えている。 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
「ジャップは裏切り者」(上記新聞画像)(クリックすると拡大します。) キッシンジャー氏 72年、日中外交で 米公文書 【ワシントン=共同】ニクソン米大統領の中国訪問など1970年代の米外交政策を主導したキッシンジャー大統領補佐官(後に国務長官)が1972年夏、田中角栄首相が訪中して日中国交正常化を図る計画を知り「ジャップ(日本人への蔑称=べっしょう)」との表現を使って日本を「最悪の裏切り者」と非難していたことが、26日までに解禁された米公文書で分かった。 キッシンジャー氏の懐疑的な対日観は解禁済みの公文書から明らかになっているが、戦略性の高い外交案件をめぐり同氏が日本に露骨な敵がい心を抱いていたことを伝えている。繊維交渉などで険悪化した当時の両国関係を反映しており、1970年代の日米関係史をひもとく重要資料といえる。 文書はシンクタンク「国家安全保障公文書館」が国立公文書館から入手。26日の公表前に共同通信に閲覧を認めた。 ハワイで日米首脳会談が行なわれた1972年8月31日付の部内協議メモ(極秘)によると、キッシンジャー氏は部内協議の冒頭で「あらゆる裏切り者の中でも、ジャップが最悪だ」と発言した。 続けて、中国との国交正常化を伝えてきた日本の外交方針を「品のない拙速さ」と批判し、日中共同声明調印のために田中首相が中国の建国記念日に訪中する計画を非難。首相訪中に関する日本からの高官協議の申し入れを拒否したという。 またフォード大統領訪日を直前に控えた1974年11月12日付の国務省会議録(秘密)によると、国務長官も兼務していた同氏は省内会議で田中首相について「日本の標準に照らしてみてもウソつきだ」と言明した。
中国、ITソースコード強制開示強行へ…国際問題化の懸念 下記ブログでも話が載っていますので、読んでみたら!!
前回と前々回でアメリカはアメリカで無くなった。我々が想像するアメリカは消えてなくなりましたと書きました。 アメリカが変わり始めたきっかけはベトナム戦争だと思います。 第二次世界大戦後アメリカは世界の嫌われ者である共産主義国家ソ連と勢力拡大の代理戦争をしていました。資本主義陣営からみれば悪のソ連対正義のアメリカに見えていました。 アメリカの軍隊もアメリカ国民もはっきりと正義を持っていました。彼らは常に正義を見据え、共産主義との戦いに誇りを持っていました。その誇り高き姿勢は資本主義陣営のまともな国々にとって頼もしいかぎりでした。 しかし10年以上続いたベトナム戦争によってアメリカ国内の人心は揺れ動き、共産国家のプロパガンダによって世界も非難を始めました。アメリカと戦った共産主義勢力の主体は北ベトナム、ソビエット連邦、中国です。 共産陣営のプロパガンダはベトナム戦争を「民族解放の戦い」と称し巧みに正義をアメリカから奪いました。 ベトナム戦争の泥沼に足を取られたアメリカは誇りある撤退を模索していました。その時さっそうと登場したのがユダヤ人であるキッシンジャーです。 彼は北ベトナムを裏から操作している中国と話し合うために1971年中国へ飛び周恩来と秘密会談を持ちます。 中国は当時ソ連に対して内心は敵意を抱いていました。ソ連から見れば毛沢東を育て援助を惜しまなかった中国に対して上目目線で指示をするのは当たり前の事だったのですが、誇り高い毛沢東は内心忸怩たるものがありました。 中国はアメリカを取り込むことによってソ連と対抗できる。ソ連を最大の敵としていたアメリカにとって思わぬ余禄でした。ベトナム戦争終結を目的のはずの会談が、中国訪問のおまけとしてお互い敵の敵が味方になったのです。 キッシンジャーは二度中国を訪問しその後ニクソン大統領を連れて毛沢東とも会談しました。 その時の会談の内容は知る由もありませんが、その後のアメリカや中国の行動を分析すればある程度透けて見えます。つまり議題の中心項目は日本なのです。 アメリカの核の下でぬくぬくしている能天気な日本の何が問題なのか日本人には理解できませんが、中国とアメリカの認識は一致しました。つまり経済的に台頭してきた日本がさらに軍事大国になることをいかにして防ぐかということで一致したのです。 とくに中国側の「日本軍国主義」への警戒感は逆にアメリカ側を目覚めさせました。当時日本産業界の急激な台頭と技術力はアメリカを慌てさせ、日本経済に対する警戒感を表面化させていました。 ここでも中国とアメリカは同じ方向の利害を持っていることで確認し合いました。このときから米中の今日に至るまでの蜜月のロードが引かれたのです。 つまりこのときから邪悪な共産主義と戦う誇り高いアメリカの正義が消えてなくなったのです。 アメリカは中国を真の味方にするためには一党独裁の共産主義を止めさして資本主義開放経済への道に進めば自然と近代国家になり資本主義陣営の仲間に入ると安易に考えていました。 そのための手順としてアメリカは鄧小平に「社会主義市場経済」を伝授しました。私はこの「経済開放政策」は老人の鄧小平が考えたアイデアーとは思っていません。アメリカのユダヤ資本が教えたに違いないと思っています。 何しろ中国には土地と老朽工場と労働者は大量にあります。ないのは資本と技術です。そこでユダヤ資本は「中国には13億の巨大な市場がある」と世界に宣伝して、国営企業をどしどし解放して合弁事業を設立させました。 権力闘争で殺し合いばかりしてきた中国要人にこのような知識もアイデアーもあるとは思えません。 アメリカは中国の近代化を進めるためにアメリカ大手の10大企業の7企業まで中国に進出しました。世界中の先進国も中国に突進しました。お陰で中国は見る見る経済が発展してドルを大量に持ってしまいました。 そのドルで中国は逆にアメリカの取り込みを始めました。第一号はキッシンジャーです。目もくらむような大金でキッシンジャーを中国のエージェントにしました。この老人がいまだにアメリカ外交の中枢にいるということは中国資金の力です。 中国はキッシンジャーの誘導に乗ってロビー活動を活発化させ、ついに豊富な資金力でクリントンをアメリカ大統領に当選させました。このときからアメリカは日本との同盟関係を解消したのです。ただ日本をいつまでも軍事大国にせず平和ボケさせておくために形として日米安保条約を堅持しています。 アメリカは中国と密約を結ぶ前にすでに、日本とは「日米安全保証条約」を韓国とは「米韓相互防衛条約」をそして台湾との間には「米華相互防衛条約」をそれぞれ結んでいます。 他方中国もまた北朝鮮との間に「中朝友好協力相互条約」を締結しています。つまり米中は世界も周知の敵国同士だったのです。ところが1971年キッシンジャーが中国を訪問してお互いの利害が一致している事に気がつきました。 いまやアメリカにとって日本、韓国、台湾と締結している同盟関係は紙切れであり無いに等しいのです。 日本人は日本の強さ実力を全く自覚していませんが、米中、特に中国は「日本軍国主義」への警戒感は日本人の想像を超えています。 中国は日清戦争でいとも簡単に敗れ、第二次大戦の日中戦争では一度も日本軍に勝ったことはありません、戦っていたのは蒋介石の軍で毛沢東は一度も日本軍と戦った事はりません。 アメリカも日本に勝ったといえども、物量作戦で圧倒したからで、ゼロ戦や大和、武蔵などの巨大戦艦の技術、命も恐れない戦士の勇敢さなど日本軍を今でも恐れています。 この日本がいずれはアメリカの核の傘から離脱し将来軍事的に自立の道を模索していくのではないかという警戒感と危機感は米中共同の思いなのです。 このまま書き続けると長い長いブログになってしまいます。 米中は日本の技術力とマネーを掠め取った後、日本をどの様に処分するかを今後G2で決めていきます。今見えている中国の戦略は、政治家を中国資金で取り込み、日本本土に中国人を大量に移籍させて日本人の血を薄め、日本を中国化させていくことです。 民主党が天下を取ればすでに中国エージェントにされている政治家を使って「東アジア共同体」の構想(詳しい事は7月1日のブログを参考にしてください)を進め日本を中国の一部にしていきます。 自民党が巻き返しても親中派の中国エージェントたちがうごめいています。日本が助かる道は中国経済が崩壊して「中国大乱」が起こりアメリカが目覚める事以外にありません。 日本人のアメリカという国についての無知さと分析力の欠落は、戦後全く進歩していません。 今日 国全体が大きな危機に直面しているにもかかわらず、それに気づいてもいません。 政治家の無知蒙昧が日本の将来を暗澹とさせていきます。 PR |
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