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2007 05,02 11:03 |
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バミューダトライアングルとは このバミューダトライアングルでは飛行機や船が謎の失踪を遂げると
Nat Geo Bermuda Triangle (Part 2) Nat Geo Bermuda Triangle (Part 3) Nat Geo Bermuda Triangle (Part 4) Nat Geo Bermuda Triangle (Part 5) Bermuda Triangle Mystery Of Flight 19 (Part #1 of 2) Bermuda Triangle Mystery Of Flight 19 (Part #2 of 2)
フィリピンの独裁者マルコスの隠し財産がスイスの銀行にあった、 マルコスの場合、金塊を売って不当に得た利益を、そのままスイス銀行に預けていても面白くなかった。この男は大金を使って王侯のような生活にふけり、悪妻イメルダのためにニューヨークの豪華なビルの買収を思いつくと、バーンスタイン兄弟の仲介によって不動産を次々と手に入れた。ここまでがわれわれの“常識”の範囲に入る出来事だろう。では、その金をどのように動かしたか。実はこれが最大の問題でありながら野放しになっている地球のトンネルである。 マルコスが大金を振り込んだのは、カリブ海にあるオランダ領アンティル諸島のさる会社だという。タックス・ヘイブンと呼ばれるこの一帯の島に入った富豪の大金は、バーミューダーの魔の三角海域に入った船のように、次々と消えてしまう。 北アメリカ大陸の東海岸、ニューヨークは昔、ニューアムステルダムと呼ばれていて、オランダ領だった。金融の中心地がアムステルダムからロンドンに移って、イングランド銀行が設立された時代は、アメリカでニューアムステルダムがイギリス領ニューヨークとなった時代、アジアでは支配者がオランダ東インド会社からイギリス東インド会社に変わった時代、ヨーロッパではオランダから来たゴールドシュミット兄弟に続いてロスチャイルド家が台頭する直前、すべての力がオランダからイギリスへと移った時代になる。 ニューヨークから南下すると大富豪がヨットを浮かべるフロリダ半島のマイアミ・ビーチに達する。ここはタックス・ヘイブンが目の前にある。 そこから左へ行くと黒人のディキシィランド・ジャズ発祥の地ニューオルリーンズがある。黒人と言えば奴隷。南北戦争の前、1848年にフランスのユダヤ系投資銀行ラザール・フレールが、この土地で創業していた。 なぜ目ざといユダヤ系マーチャント・バンカーのラザール兄弟がこの地に目をつけたかと見れば、アメリカ中央部まで船で一直線に通じる貿易の要所が、ミシシッピー河の河口地帯ニューオルリーンズであった。オルリーンズはフランス語のオルレアン地方を意味する。 ミシシッピー河を上流までたどるとマフィアが支配するセントルイスとシカゴが見えてくる。現代では最大の穀倉地帯として知られる。 麦やトウモロコシが河を下ってニューオルリーンズから海外に送り出されてゆく流れを見れば、河口に陣取ったラザール・フレールが地球の穀物を動かしている可能性がある。農産物の“自由化”が全世界を揺るがす問題となっている現在、このマーチャント・バンカーの正体が大いに気になるところだ。 1848年、この地に開業したラザール・フレールは、投資銀行の宿命からニューヨークに進出することになったが、ここで彼らが手を組んだ相手は、ロスチャイルドではなかった。 当時ヨーロッパの五大投資銀行と呼ばれたのは、ロスチャイルド、モルガンのほかに、セリグマン商会、それにユダヤ人のシュテルン(スターン)家とシュペヤー家であった。このうちシュテルン家は、サロモン・ロスチャイルドに嫁を出し一族になっている。 シュペヤー家だけがロスチャイルドと離れて、しかも同じフランクフルトを本拠地として活動していた。同じユダヤ人としては珍しい例である。18世紀までさかのぼると、驚いたことに、今日ではほとんど聞く機会さえないシュペヤー家が、ロスチャイルド家よりはるかに大金持ちで、当時フランクフルトのユダヤ人として圧倒的な第一位を誇る富豪だった。 ラザール・フレールは、実はシュペヤー家と結婚してアメリカ進出を大掛かりに展開したのである。 1986年にウォール街の投資家として最大の収入を得た人物が、ラザール・フレールの最高幹部マイケル・デヴィッド=ウェイルだった。わが国のアメリカ企業買収が話題になっているなら、そのかなりの部分を仕組んできたラザール・フレールを知らずに、日米経済摩擦の本質がわかるはずもない。ロックフェラー・センターの最上階にこの商会のオフィスがある、と言えば、なるほど世界の大企業が何を目論んで買収問題に火がついたかということも推測できるだろう。 さて、このマイケル・デヴィッド=ウェイルのルーツを辿っていくと曾祖父のアレクサンドル・ウェイルがラザール兄弟と血縁関係を結んでいた。ラザール家=シュペヤー家=ウェイル家が大合同して、もう一つのユダヤ王ロスチャイルド家に立ち向かったかに見える。 ところで、ニューオルリーンズから更に左へ行けばメキシコがある。ここでイギリス人のピアソンが1908年に当時世界最大の油田をドス・ボカスに掘り当てた。1918年、ピアソンはロスチャイルドにメキシコの石油利権を売り渡し、莫大な富を懐に入れた。ピアソンは、その大金を別なところに投資して、さらに大きな夢を描こうとした。ピアソンは、ラザール・フレールに自分の資金を投入し、資本の半分を握ってしまったのである。 フランスのジェームズ・ロスチャイルドは、ニューオルリーンズに支店を開き、ラザール・フレールの力によって南部の綿花を買い付け、両者は緊密な関係に入った。 こうしてロスチャイルドは、いつの間にか対抗勢力であったラザール・フレールとまんまと仲良くパートナーとなってしまった。ここまで話が進めば、あとはロスチャイルド家の18番、実生活でもベッドを共にするというしきたりが待っている。 ピアソンがラザール商会の経営権を握った1919年から四年後、新郎ジャン・デヴィッド=ウェイルと新婦アンヌ・グンツブルグの結婚式がおこなわれた。ロスチャイルド家とラザール家の血がつながった偉大なる儀式を持って、ロスチャイルド家は今日まで、ニューヨークとパリのラザール・フレール、ロンドンのラザール・ブラザースを縦横に動かしてきた。 19世紀ヨーロッパの五大投資銀行は、こうして一つの力に糾合され、20世紀の金融戦争を演出することになった。 パナマに現われた出生不明のノリエガ将軍は、売春婦への暴行事件などを起こしながら、なぜか1968年には参謀本部の情報部長のポストに就き、税金などの機密情報を一手に握った。1989年に米軍がいきなりパナマへ侵攻し、ノリエガを捕えてみたが、この“知りすぎていた男”が余計なことを喋らずにいてくれればよいと全世界の富豪が脂汗を流しながら注目していたようである。 パナマは海運業にとって生命線の運河を持つ国、そして同時に、目の前には脱税天国の島々がカリブ海に浮かぶ。自ら法人税を免除する制度を持ち、香港や日本の造船会社は多くが“船の国籍”をパナマに置くことによって巧みに会計帳簿をつけている。 このように船籍を売っているトンネル諸国は、ジャーディン・マセソン社、東インド会社と深い関係にある。 アヘン戦争の張本人ジャーディン・マセソン社は、なぜか本社を香港に構え、なぜか特別オフィスをバーミューダ島のハミルトン通りに登録している。アヘン戦争によって成長した会社が、今日の麻薬戦争と無関係だとは考えにくい。さらにロスチャイルド商会もバーミューダに支店を構えている。謎を解いてみよう。 ジャーディンの前身、東インド会社が西アフリカの奴隷海岸から大量の黒人を運び始めたのは17世紀だが、多くの奴隷船が向かったのは、このカリブ海域だった。 金とダイヤを求めたコロンブスは、1492年にアメリカ大陸に近づき、バハマ諸島とキューバ、ハイチにまで達したが、そこで金を発見、ゴールドラッシュが起こった。そこで第二航海から原住民を奴隷として使う残忍なコロンブスと変り、ドミニカ、ジャマイカまで利権を広げると、第三航海では遂に南米に、第四航海ではパナマなど中米の一帯にまで至ったのである。コロンブスが蒔いた種は、実に500年後の今日も生き続けている。つまり密貿易船の出入り-奴隷制度-原産物の略奪-という大昔の話から何も変っていない。それが今日では、脱税貿易船の出入り-中南米諸国のアメリカ・イギリスの軍隊出動-麻薬と農産物の独占的支配-となっているだけだ。 コロンブスの時代には、カリブ海のゴールドラッシュは長く続かず、次第に砂糖やタバコの生産に転じていった。 インド貿易がお茶とコーヒーをヨーロッパにもたらすと、ロンドンの社交界はカップに砂糖を入れる味を覚えてしまい、中南米諸国の砂糖産業が一気に急成長を遂げることになった。それと同時に、アフリカ黒人奴隷の交易が著しい勢いを持ってきた。その主導的役割を果たしたのが『ロビンソン・クルーソー漂流記』の著者ダニエル・デフォーであった。 デフォーは、自ら東インド会社に対抗する貿易会社「南海会社」を設立し、大々的な奴隷貿易をおこなった。すでにイングランド銀行も誕生し、株券の売買がロイズなどで取り扱われる投機の時代でもあった。人々は南海会社の株を買おうと血眼になり、やがてこれは有名な南海泡沫事件に発展する。あっという間に、イギリス国民の莫大な財宝を呑み込んだ南海会社が倒産してしまったのである。 カリブ海には、砂糖やタバコの栽培をおこなうユダヤ人がかなり移り住み、アフリカにおける金銀ダイヤの世界とまったく同じメカニズムによって、キリスト教徒-ユダヤ教徒-有色人種という階級の中で、ユダヤ人が現地の実作業をほとんど握る形となった。彼らもまた、ヨーロッパでの迫害を逃れてきたのである。 マルコスが密かに利用したオランダ領アンティル諸島の首都キュラソーは、年間四千人という奴隷を売買した悪名高い一大奴隷市場だった。現在でも住民の八割が17世紀から18世紀にかけて“輸入された”奴隷の子孫である。キュラソーには欧米の大企業がズラリと看板を並べ、オランダの総督が支配を続けている。 1915年、第一次世界大戦の最中、ロスチャイルドが南米の利権を狙ってキュラソーに巨大な石油の精製工場を設立した。以来、カリブ海の船はキュラソーに立ち寄ることが慣例となって、今日では観光の島として異常なほどの人気を集めている。たとえば1990年、ロスチャイルドの観光会社「地中海クラブ」が世界最大の帆船式豪華客船を就航させたが、船が目指した目的地は奇しくもアンティル諸島だった。 キュラソー財団の理事はフランス人のエリー・ロスチャイルドである。 石油もバナナも砂糖もタバコも、みな欧米の不在地主が泥棒同然にかっさらってきたというのが、このカリブ海の実情であった。 海運業者にとって最大の利益を生むもの、それは石油と穀物である。 ラザール・フレールがニューオルリーンズに開業したというだけで、世界の穀物輸出の六割を占めるアメリカの小麦、大麦、とうもろこし、大豆の大量の収穫物をロスチャイルド家がおさえられるとは思えない。 アメリカの穀物を扱う商社は五つしかないと言われる。カーギル、コンティネンタル・グレイン、ブンゲ、ドレフェス、アンドレ、この五大穀物商社が九割近くを動かしているからだ。人間にとって最も重要な主食であるというのに、五社の事業内容は完全に秘密に保たれている。株式が非公開で、いずれも同族会社だからである。 このうちコンティネンタル・グレイン、ブンゲ、ドレフェスはユダヤ系として知られている。その三社を支配する家族を調べてみると次のようであった。 ブンゲ社は、オランダ領アンティル諸島のキュラソーにあるロス・アンデスという持株会社が、ブンゲのすべての株を握っている。 オランダからベルギーに移り、さらに南米にやってきたユダヤ系のブンゲ一族は、南米一の穀倉地帯になろうとするアルゼンチンで穀物を買占め、莫大な利益を手にし始めた。ここでパートナーとして手を組んだのが、ベルギー出身のボルンであった。 ブンゲとボルンが困ったのは、穀物を国際的に取引きする時で、いざ多額の金を動かすとなると、それほど容易ではないということを思い知らされた。どこへ行っても貿易と金融の支配者が目を光らせ、大々的な穀物取引きは不可能だった。しかし“ユダヤの王”に頼むという手が残されていた。 実はアルゼンチンの鉄道に対して1888年から密かに大掛かりな投資をしてきたのが、ロスチャイルド家であった。ブンゲは1927年にドイツからアルフレード・ヒルシュを迎え、やがて会社をアルゼンチン最大の企業としたのである。 ヒルシュ家はドイツの金融業者として知られている以上に、新天地アメリカへのユダヤ人移民に莫大な金を注ぎ込んだヒルシュ男爵として、大陸では多くの人に知られている。また、ロシアに住むユダヤ人を南米に何千人も移住させ、穀倉地帯アルゼンチンで農業植民者を育てもした。 ヒルシュ男爵は、16世紀に起源を持つドイツのゴールドシュミット家が金融商会に育てあげたパートナーの一人であり、ヨーロッパ全土に君臨する鉄道王の一人であった。北米大陸をジェイコブ・シフ、南米大陸をヒルシュが主に担当する形で、両人が手を組み、鉄道建設に最大の貢献をしながらロスチャイルド家に産物を届けてきた。 コンティネンタル・グレイン社は、世界一位のカーギルに次ぐ第二位の輸出量を誇っている。 この巨大会社の株を九割握っているのがマイケル・フライバーグ一族。ヨーロッパではミシェル・フリブールとして知られるこの人物は、ブンゲと同じくベルギーからやってきたがユダヤ人だが、ヨーロッパ中の資料を集めても、この家族についての体系的な記録は見つからない。 しかし、ベルギーのブリュッセルに、EUとNATOの本部が置かれ、つまり経済と軍事の中枢がベルギーにあり、ベルギーの金融機関をすべて支配してきたのがロスチャイルド家であるということを思えば、ただのユダヤ人ではないだろう。 ジュールとルネのフリブール兄弟は、第一次大戦の直前にベルギーからロンドンに移り、さらにパリに出て次々と店を開いた。彼らが狙った穀物はトウモロコシで、当時世界最大規模の生産量を誇ったのが、なんとルーマニアだった。 ルーマニアの物語は次のようなものであった。 アゼルバイジャンの首都バクーは、19世紀末に世界最大の産油量を誇る油田が発見され、ダイナマイトのノーベル兄弟と手を組んだロスチャイルドが、この採掘権を手に入れた。 ヒルシュ男爵が貧しいユダヤ移民の救世主となることができたのは、この地方からトルコへの鉄道を建設し、その輸送力によってバクー油田の莫大な利益を手にしたからであった。 ロスチャイルドがそのとき大きな石油会社を建設したのが、バクーから西ヨーロッパへの経路にあたるルーマニアであった。 やがてルーマニアは、自らもモルダヴィア地方に巨大油田と天然ガスを掘り当て、ドナウ川沿いの肥沃なワラキア地方の穀物と、トランシルヴァニア地方の金銀ウランなどの鉱物資源に恵まれ、東ヨーロッパ随一の資源国となっていった。 その豊かな資源を誰かが奪わなければ、ルーマニア国民がパン屑を求めてゴミ箱をあさるという1989年に見た悲劇は決しておこらなかったはずである。 犯人は果たして独裁者チャウシェスクだけだったのだろうか。チャウシェスクはスイスに莫大な資産を隠していた。その手引きをした者が、マルコスの場合と同じく真犯人になる。 穀物商人フリブールは、このルーマニアの油田に投資するようロスチャイルド一族に奨められ、ここから本格的に“赤い盾”の傘下に組み込まれた。 しかもこの時期に、アメリカ大陸に進出しようと考えたフリブール兄弟が手を借りた人物こそ、ジャンとアルフレッドのゴールドシュミット兄弟であった。そのアルフレッドの息子ミッシェル・ゴールドシュミットは、GATTの国際会議で、日本へのコメの自由化を迫った政治家の裏にいた人物で、コンティネンタル・グレイン社の実力者であった。 事業が国際的に広がったため、フリブールが次に力を借りなければならなかったのが、穀物を運ぶ船の手配だった。ロスチャイルドに相談するとイスラエルのレカナティ一族を紹介された。 デビアスを動かすエドモン・ロスチャイルドは、イスラエル・ディスコント銀行のレカナティ会長ときわめて親しかった。イスラエルは経済制裁を受ける南アのダイヤを全世界に運び出すトンネルであり、その運び屋をレカナティ一族がつとめてきたからである。 現代では、テルアビブにバークレーズ・ディスコント銀行を開き、「ダイヤと金の取引きは、わが銀行にお任せ下さい」という生々しい宣伝をしている。このバークレーズ・ディスコント銀行の株を50%保有するのがロンドンのバークレーズ銀行で、すなわちリオ・チント・ジンクの傘下に入るというメカニズムである。エドモン・ロスチャイルド男爵は、この銀行のイスラエル系列会社のそちこちで重役室に坐っていた。 ドレフェス社の一族の姓は、正しくはルイ=ドレフェス。 ルーマニアの王制が確立したのは1866年だが、1914年にフェルディナンド一世が王位に就くと、イギリス王室からエジンバラ公の娘マリー・アレクサンドラ・ヴィクトリアを妻に迎えた。ロンドンのバッキンガム宮殿はロスチャイルド家の金に頼って生きていたので、否応なくルーマニア王室もロスチャイルド一族と親しくなり、前述のようにロスチャイルドが鉄道や石油の事業で利権を獲得できた。この先代のカロル一世の時代から王室に取り入り、ルーマニアの穀物をほとんど独占してきたのが、ルイ=ドレフェス家であった。 しかし結局、ルイ=ドレフェスもアルゼンチン進出した際、ヒルシュ男爵の手を借りなければならなかった。そしてアメリカの穀倉地帯に本格的に進出を果たしたあと、1974年にルイ=ドレフェスが会長に迎えたのは、ナサニエル・サミュエルズであった。 サミュエルズ会長は、クーン・ローブ商会で顧問会議のトップにいた男で、アメリカン・エクスプレス社(通称アメックス)でもNo.1のポストにあった。 アメリカン・エクスプレスは、金融と旅行の専門会社だが、その国際的なビジネスの広さは世界一だろう。この銀行は名前が示す通り輸送会社としてスタートしたが、やがて金塊などの輸送から自ら金融業者となり、モルガン財閥の重要な機関として全米に君臨してきた。 ところがアメリカを離れた海外での投資や金融は、子会社のアメリカン・エクスプレス銀行、クーン・ローブ商会、リーマン・ブラザースが中核となってやってきた。 後者の二つは、すでにロスチャイルド一族の持ち物であることは知っているが、アメリカン・エクスプレス銀行は、サミュエルズが穀物商社に移った1974年までロスチャイルド・インターコンティネンタル銀行の看板を掲げていた。重役はフランス家の当主ギイ・ロスチャイルド男爵である。 国務長官を退任したキッシンジャーに金を与えていたのがアメリカン・エクスプレスであった。したがって最近のキッシンジャーに首輪をつけてきたのが、ロスチャイルド銀行であったことがわかる。 香港にパトリック・マクドゥーガルという男がいる。スタンダード・チャータード・マーチャント銀行のNo.1だが、彼はケニアの学校を出たあとオックスフォードを経て、1967年からロンドンのロスチャイルド銀行の支配人となった。次いで70年からアメリカン・エクスプレス銀行の重役となり、77年には最高経営責任者、78年からは香港のジャーディン・マセソンに移って最高幹部の座についた。そのジャーディンが魔の三角海域に農産物の子会社を構えている。この男の履歴だけで、アフリカ、ロンドン、アメリカ、香港、バーミューダがつながり、金と商品の流れが目に浮かぶ。 五大穀物商社のうちロスチャイルドの三社を除くと、アンドレ社はスイスの会社なので最初からトンネルは必要ない。 ガーギルは世界最大のアメリカ商社だが、子会社をパナマに設立し、その株の50%をスイスの銀行に売却した。 ニューオルリーンズの穀物積み出し港からパナマのタックス・ヘイブンに渡り、最終的に利益はスイスに運ばれるルートが完成している。 カリブ海のトンネルを調べるのに穀物商社を代表例として選んだのは、農産物という共通項から、お茶、コーヒー、タバコ、酒、さらに麻薬まで一気に見渡すことができるからである。 この全体を動かすのが、船である。 現代の深刻な社会問題となっているコカインの源を探ってみたい。ボリビアからペルー、コロンビアに通じる麻薬天国は次のようにして誕生した。 ボリビアは、コカインの原料となるコカの栽培が合法化され、農民は黙々と麻薬の製造に従事してきた。黙々と?実はそうではない。 革命児エルネスト・チェ・ゲバラが反政府ゲリラとして最後に活動し、CIAの手に落ちて殺された国ボリビア。この土地の支配者は、かつてシモン・パティーニョという男だった。パティーニョは今世紀初頭から、一大鉱山帝国を作り上げ、ボリビア最大の銀行を設立した世界屈指の大富豪であった。 パティーニョがボリビアの鉱山王となった背景は定かではないが、1932年には自ら軍隊を組織して隣国パラグアイに侵入し、チャコと呼ばれる秘境地帯を奪い取ろうと戦争を仕掛けたのだから、その悪どさはインド総督並みであった。このチャコ戦争は、死者が一説には10万人、一説には100万人とも記されている残虐なものであった。 パティーニョの名がウォール街まで届きはじめた1907年、鉱山王グッゲンハイムから鉱山を買い取る話が持ちかけられ、鉱山利権の49%を売却した。それからのパティーニョは、ヨーロッパ社交界に乗り込んで贅の限りをつくし、チャウシェスクやマルコス、ノエリガなど足元にも及ばない独裁的な経済支配を続け、放蕩に明け暮れた。 二代目のセニョール・ドン・アンテノール・パティーニョはスペイン王室の一族から妻を貰い、ボリビアの大使としてロンドンに駐在した。 1952年、ボリビアの鉱山で労働者の不満が爆発し、これが革命となって遂にパティーニョの鉱山は国有化されてしまった。 ボリビアは1825年に独立して以来、およそ200回ものクーデターがあった国である。二世紀に渡りボリビアを混乱させてきたのは、輸出の大部分を占める鉱山の利権であった。その混乱による経済的な疲弊が、農民にコカを栽培させるまでの窮地に追いやってきた。 鉱山が国有化されても、実はパティーニョ鉱山の経営者は二代目のアンテノール・パティーニョに変わりなかった。その娘のイザベルがJ・ゴールドスミスと駆け落ちの末に結婚。こうしてボリビアの経済はロスチャイルド家の手に直接握られた。今日のコカイン経済の正体がここにある。 奴隷の密貿易の中心地であったキューバのすぐ南にイギリス領のケイマン諸島がある。 このケイマン諸島の小綺麗なビルに入ってみると、ニューヨークとロンドンの有名な銀行が、ほとんどここにある。 ところがそれはいずれも名ばかりで、総督に管理された小さなネームプレートがかかっているだけだ。 日本の銀行が全世界のランキングで上位を占めたと言っても、アメリカやヨーロッパの銀行家はケイマン特急でスイスに金塊を蓄えているのだから比較にならない。表の帳簿と裏の帳簿を混同しないほうが賢明だろう。 大事なことは、ケイマン諸島のようなトンネル会社やペーパーカンパニー、巨大銀行のネームプレートが山のようにあって、密かにそれを管理している一族がいるという点にある。 ケイマン諸島は金融界の一大機密センターである。わが国の国家予算に相当するほどの金が、この小さな島の銀行群に隠され、行政命令によって一切の帳簿内容を外に漏らしてはならない、という厳密な法律が制定されている。 ケイマン諸島には、銀行が500以上も数えられるが、これがみな世界の投機市場を動かしてきた。 ケイマン島での脱税事件は、イギリスの国家ぐるみの犯罪である。 それが特定の一族にだけ許され、すべてがロスチャイルドの掌の上でおこなわれていることになる。 ICI(大英帝国化学工業)は、多国籍企業を除けばイギリス最大の企業で、これから東ヨーロッパ社会の自由化を進めるなかで中心的な役割を果たすだろうと言われている。 今世紀初頭のイギリスは世界一の国家で、19世紀から目覚しい発展を見せていた化学工業が大きく産業全体を支配し始めた。 ドイツ生まれのユダヤ人ルートヴィッヒ・モンドは、酢酸、アンモニア、硫黄といった基本的なものを製造、回収する技術を開発し、やがて世界に冠たるソルヴェイ法を確立して、この世で最大のアルカリ・メーカー「モンド社」を設立した。エルネスト・ソルヴェイが食塩・アンモニア・炭酸ガスという人体の三大要素を使って生み出したソーダの製造法は、ソーダ水やパンを焼く時の膨らし粉“重曹”をつくり出した。これを実用化したのがモンドで、さらに彼は鉱石からニッケルを抽出する方法も発明し、この技術によってカナダにモンド・ニッケル社を設立。のちにこれが世界最大のニッケル会社としてCIA長官ダレスの兄弟やロックフェラーたちが重役室に暗躍し、ウランと結ぶカルテルを誕生させるのである。その会社は、現在はただINCO(インコ)と呼ばれているが、インターナショナル・ニッケル社の略称である。 二代目のアルフレッド・モンドは無煙炭の利権を買占め、そのほとんどの炭田を糾合すると自分の傘下に収めてしまった。これで鉄鋼産業の溶鉱炉も支配することになった。 ヒットラーが台頭しファシズムがヨーロッパ全土に広がりつつあった1925年、ドイツに世界最大の化学トラストIGファルベンが誕生した。 モンドは、ユダヤ人でありながら、後年アウシュビッツを経営することになるIGファルベンに合併を申し入れるという行動をとった。 しかし、モンドは断られてしまい、そこへバクー油田でロスチャイルドと手を組んだノーベルが大合同を申し入れた。ここにノーベルとモンド、さらに二社を加えて四社が合併、ICIが誕生した。 ICI初代会長のアルフレッド・モンドの兄ロバートは、グッゲンハイム一族の寡婦と結婚した。アルフレッドの娘とインド総督ルーファス・アイザックの息子も結婚している。 IGファルベンとICI、当時のヨーロッパを二分する超マンモス企業の誕生と対立が、第二次世界大戦の大きな誘因となった。 ロシア革命が起こってもクレムリンの新しい指導者たちはロスチャイルドの資本を手離さなかった。革命後のソ連は、共産主義になっても、産業を動かす富豪と商人には手をつけず、それを利用してきた。外貨獲得と貿易のためである。 今日まで、国有化されたバクー油田が生み出した石油化学産業は、国有化前と同じファミリーが支配するICIの技術に委ねられてきたのである。帝政ロシアのツァーに大金を貸し付けてきたのが、ジェームズの祖父アドルフをはじめとするロスチャイルド一族であった。そして今日、1990年にアゼルバイジャンとアルメニアの紛争によって東ヨーロッパの産業が麻痺しかかったのは、バクーの精油所が動かなくなったからであるが、その共産主義国の生命を握ってきたのが、今日でも資本主義の王様ロスチャイルドである。 この同じメカニズムが、ソ連に次ぐヨーロッパ第二の産油国ルーマニアにも脈々と生き続けてきた。チャウシェスクの独裁を知りながら支えてきたのが、これも“赤い盾”であった。一方では石油を扱い、もう一方では独裁者の宮殿を飾り立てる金銀ダイヤを扱ってきた。 収入と脱税について最後の詰めに入ろう。 ジェームズ・ゴールドスミスは一連の買収によって天文学的な金を手にした。税率の高いヨーロッパで、それを自分のものにするには一度カリブ海に飛ばす必要があるのだ。 ジェームズはトンネル会社を三つ持っている。その一つはパリにあるジェネラル・オクシデンタル(西方会社)。西方会社の重役陣には、ジャック=アンリ=グーゲンエイム(グッゲンハイムの仏語読み)、ダヴィッド・ロスチャイルド(ギイの息子でフランス家の当主。現在の“地球の王者”)、ジルベルト・ボー(セリグマン銀行重役。パティーニョ社重役)の三人の大物がいる。 もう一つが香港にあるジェネラル・オリエンタル(東方会社)。最後の一つがパナマにあるリド社である。 ジェームズはまず利益をパリの西方会社に振り込む。ここを支配しているのが、持株会社トロカデロ社で、大株主はラザール・フレールで、ラザールに対してはロスチャイルドが支配力を持つ。トロカデロの大株主があと二つあり、一つはジェームズ本人が30%、残りの一つが東方会社で、これも30%を握っている。 東方会社は、ジェームズ本人が社長で、この会社の大部分の株をリド社が所有している。 リド社の大株主は二つあり、一つはジェームズ本人で40%、残りの60%をリヒテンシュタインのブルネリア財団が持っている。リヒテンシュタインは銀行王国スイスの使い走りをする王国で、ブルネリア財団のオーナーは、ジェームズ本人である。 要するに、フランスの西方会社に流れ込んだ莫大な利益は、まず最初にダヴィッド・ロスチャイルド、ジャック=アンリ=グッゲンハイム、ジェームズ・ゴールドスミスたちが分け合った後、フランスのトロカデロに流れ、世話になったラザール・フレールに分け前を与えて、東方会社でアジアの金に生まれ変り、念には念を入れてパナマのリド社に引き渡されるとマフィアの世界に入ってしまい、パティーニョ財閥が金の流れの痕跡を跡形もなく消してしまう。最後にリヒテンシュタインのブルネリア財団に運ばれて、ヨーロッパで新しい金として甦り、スイスの大銀行の秘密金庫に保管されるのである。 ここではゴールドスミスの物語りを述べたが、全世界の独裁者たちは同じような手口によって脱税と資金隠しをおこなってきた。 このバーミューダ海域全体を支配する者が、“全世界の富豪と大富豪”の財産を管理してきた黒幕である。 1899年、バーミューダのイギリス利権を守るため、当時争っていたアメリカと激しい交渉を重ねたのが、キャヴェンディッシュ・ボイルであった。このボイルの妻はルイーズ・サッスーン。アヘン王デヴィッド・サッスーンの孫娘である。 ロスチャイルド家に断りなく、バーミューダ・トライアングルに財産を隠せる富豪はいないであろう。 『赤い楯』(広瀬 隆 著)の一部要約です。 PR |
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