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2009 03,15 08:00 |
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これが大恐慌なら今は1938年 米国産業界を代表するゼネラル・エレクトリック(GE)が配当金を減額した。1938年以来初の減配である。今年、我々は恐らく、1938年以来最大の配当減額に見舞われることになる。 だが、1938年という年は一般に、経済史においては特に際立った年として記憶されていない。一体、何が起きた年だったのだろうか? この説明は、我々を大恐慌の歴史に誘う。これについてはJ・K・ガルブレイスが面白く詳述し、米連邦準備理事会(FRB)議長のベン・バーナンキが影響力のある論文を書いた。 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
■株式時価総額が4分の3も吹き飛んだ大恐慌 1929年のウォール街の株式大暴落は、当初はそれほど劇的な出来事ではなかった。もっと近年の歴史の標準からすると、当時の株価の調整は緩やかだった。それが際立っていたのは、株価の下落がいつまでも続いたことだ。 1933年になると、米国株は1929年時点の時価総額の4分の3を失っていた。 1929年以降の政府の行動が危機を悪化させたことについては、ほとんど異論はないだろう。もっとも、制約的な財政政策と、不適切な金融政策、そして保護主義的な貿易および金融戦略の相対的な寄与度については、なお議論の余地があるが。 フランクリン・ルーズベルト大統領が1933年に就任した時、米国の金融制度は破綻を来すところまで来ていた。 ウォール街の金融関係者がルーズベルトのニューディール政策をどう思ったにせよ、市場はそれを好感した。株価の価値は1933年に2倍に膨らみ、株価上昇基調は1936年まで続いた。1929年から1933年にかけて大幅に縮小した米国のGDP(国内総生産)は、ルーズベルトの大統領1期目に多少の回復を遂げた。
多くの場合そうであるように、市場は実体経済の動きを先取りしていた。1936年に株式市場は失速し、下落に転じた。1937年から1938年にかけて米国のGDPは3%以上も縮小した。それが企業収益に与えた影響は特に著しかった。米国企業の利益は40%も減少し、各社は配当金を30%以上減額することになる。 戦争に向けての準備と1941年以降の参戦があって初めて、米国は恐慌から脱することができたのだ。 一方、欧州諸国の経験は一様ではなく、もっと複雑だった。英国は一度も、米国の1920年代の好況を味わうことがなかった。ウィンストン・チャーチルが財務相として復帰したことや、1925年に為替レートが大幅に過大評価されたことに苦しめられ、英国経済はそれ以降の数年間、ほとんど成長が見られなかった。
1931年に金本位制が放棄され、金利が引き下げられた後の景気回復は、米国よりも早かった。しかし英国経済の回復も、1936年以降、力尽きてしまう。 公共支出が劇的に増加していなければ、英国のGDPは間違いなく、1938年から1939年にかけて縮小していたはずだ。公共支出は1936年から1939年にかけて約50%増加した。政治家が公の場で何と言おうと、経済統計は戦争に向けた積極的な準備を物語っている。 大恐慌の経験は、不況はかなり長期化する可能性があり、市場は急回復するかもしれないが、時に短命に終わることを示している。恐らく最も明白な教訓――ただ、我々としては無意味であってほしいと願う教訓――は、戦争はGDPと雇用と企業収益にとっては有益だということだろう。 しかし、今の危機と大恐慌に共通点を見いだす方法が、やはり気が滅入るような話ではあるが、もう1つある。 この観点に立つと、我々は危機の始まりではなく、危機に突入してから数年経った段階にいる。1929年のウォール街の大暴落と類似しているのは、2007年の信用収縮ではなく、2000年の「ニューエコノミー」バブルの崩壊なのだ。
ガルブレイスの読者なら知っての通り、1990年代の愚行は1920年代の愚行とよく似ていた。世界経済に内在する構造的な弱み――米国の財政および貿易赤字がアジアの黒字によって埋められているという状況――は、ニューエコノミーの想像上の富によって隠されてきたが、2000年になると再び頭をもたげてきた。 1929年以降の数年間と2000年以降の数年間の違いは、政策の失敗がほぼ正反対であることだ。 今回、金融および財政政策は最初から、かなり積極的な緩和型だった。こうした政策は資産価格の高騰を招き、持続不能な信用バブルを生み、1990年代の好況の土台を成した、根本的に欠陥のある金融基盤を一段と増長させた。 1937~38年に、市場と企業経営者は大恐慌からの部分的な回復が築かれた経営基盤の永続性を疑い始めた。2007~08年には、市場と企業経営者は、ニューエコノミーが大失敗に終わった後に消費と資産価格の上昇を支えてきた金融基盤の永続性を疑い始めた。 我々が大恐慌から学べることには限界がある。というのも、政治情勢が伴わなければ、1938年以降、各国経済がどう進展したのか知る由もないからだ。キルケゴールが言ったように、人生は後ろを振り返ることでしか理解できないが、前に向かってしか生きることができないのだ。 PR |
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