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2009 03,14 14:00 |
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専務が三井住友銀行の社宅住まい 日本郵政に持ち上がる新疑惑 「かんぽの宿」問題が完全に消えかけていますねぇ~・・・ 商業メディア(マスゴミ)はCM料という名の賂(まいない)を 本当は、相手が弱っている時に徹底的に叩いておかないと、 大体、小さな頃からケンカ(殴り合い)&討論(ディベート)を まぁ~小沢の背後も大概なので、それはそれで結構な事なのですが、
日本郵政の“出来レース疑惑”が、オリックス不動産への「かんぽの宿」売却以外の問題にも飛び火し始めた。 きっかけは、日本郵政の西川善文社長の腹心の部下に関する国会答弁だ。その部下は西川社長と同じ三井住友銀行の出身で、日本郵政の経営企画担当(専務執行役)の要職にあるにもかかわらず、今なお、三井住友銀行の社宅に住んでいると明かしたのだ。 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
実は、民営化(株式会社化)以降の日本郵政にはかねて、「三井住友グループ偏重」との指摘が存在した。その代表例が、クレジットカード業務への単独進出にあたって、それまでの提携実績を無視して、発行事務を三井住友カードに委託したことだ。このほか、三井住友優遇は、郵便局への備品納入業者の選定などでも囁かれてきた。 三井住友出身の社長が腹心を一時的な出向の扱いで銀行から呼び寄せ、様々な分野の提携先を銀行やその取引先に振り替えていく。このような利益誘導が、国家プロジェクトである郵政民営化の渦中で行われるのは破廉恥としか言いようがない。 3月5日の参議院予算委員会。西川社長は声を震わせた。 「お答え申しあげます。横山君はただいま日本郵政の専務執行役を務めておりますが、(三井住友)銀行員時代から引き続き銀行の社宅に住まわせていただいております」 なんと驚くべきことだろう。2007年10月の民営化(株式会社化)で日本最大の特殊会社のひとつに生まれ変わった日本郵政の専務執行役、しかもグループの重要戦略の決定を一手に担う経営企画部門を所管する人物が今なお一銀行の社宅に住み、日本郵政の重要な経営マターを決定しているというのだから。 問題の専務執行役、横山邦男氏は、1981年に旧住友銀行に入行し、長年、企画畑を歩んできた人物だ。MOF担と呼ばれた旧大蔵省の担当を務めたほか、旧さくら銀行との合併交渉では統合戦略室長として実務を一手に引き受けたほど、銀行時代から西川氏の信頼が厚かったとされる。 そして、2006年2月21日、横山氏は民営化(株式会社化)のための準備企画会社だった「日本郵政」の執行役員に選任された。その当時の担当は、民営化プロジェクトや傘下の事業会社間にまたがる問題を調整するプロジェクトマネジメントチームだった。 その後、横山氏は、民営化が実現した翌2007年10月1日に、専務執行役に昇進。従来の延長線ともとれる人事で、経営企画部門、CRE部門不動産企画部、資産ソリューション部を担当することになったのだ。「かんぽの宿」の売却問題で、実質的な責任者と報じられたことも記憶に新しい。 つまり、横山氏は、郵政入りから今日まですでに、3年以上の歳月が経過している。それにもかかわらず、依然として、出身母体の三井住友銀行の社宅に住んでまま、様々な重要決定を行ってきたというのである。 この答弁を引き出した長谷川憲正参議院議員(国民新党)はその場でまず、横山氏が裏給与も受け取っているのではないかと質し、西川社長から明確な否定答弁を引き出した。 だが、長谷川議員はこれにひるまず、さらに横山氏の法律上の身分が「みなし公務員」にあたることを指摘した。そして、社宅の供与を受けることが収賄罪に該当しないか、鳩山邦夫総務大臣にその有無を調査するように迫り、公約させている。 もちろん、贈収賄罪となると、その構成要件は厳しく、容易なことで立件できるとは考えにくい。 しかし、問題は贈収賄だけとは言い切れないのだ。むしろ、かねて日本郵政に対し、「西川社長らの出身母体の三井住友優遇がひど過ぎる」(ノンバンク幹部)との批判が絶えなかったことは見逃すべきではない。
そして、その問題点を指摘する前に、ご紹介したいのが、横山氏と三井住友銀行の関係だ。この点を質すと、同行は「横山氏は、日本郵政の民営化にめどをつけた段階で、三井住友銀行に復帰する予定で、それを前提に社宅に居住し続けている」(広報部)という。日本郵政からも同様の回答を得た。 だが、前述の通り、横山氏は、ヒラ社員ではない。日本郵政グループのグループ戦略などを決める立場にあるのだ。当然、大きな利害のはざ間にたたされることが少なくない。そして、不信をもたれる場面に遭遇することになるのだ。 例えば、ゆうちょ銀行の自前のクレジットカードの発行事務の委託先の選定で囁かれたのが、利益誘導問題だ。 話は、昨年5月に遡る。国営時代から郵政は40を超すクレジットカード会社と提携し、「提携(共用)カード」を販売してきたが、民営化(株式会社化)を受けて、自前で単独のクレジット業務に参入することになり、それを果たしたのだ。 そして、肝心の発行事務の委託先の選定は、民営化の準備段階から始まっていた。つまり、準備企画会社の日本郵政で進められたのだ。このときの主要メンバーに、西川社長のほか、今回社宅住まいが明らかになった横山執行役が含まれていたことはいうまでもない。さらに、眼を引くのは、やはり旧住友銀行で主に営業畑を歩んだあと、当時の住友クレジットカードサービス(現三井住友カード)で専務、副社長を歴任、その後、三井住友銀行系のSMBCコンサルティング会長を務めていた宇野輝氏もこの当時のメンバーに含まれていた。 そして、ジェーシービーと三井住友カードの2社だけを新たな提携先に選んだのである。 これはそれまでの郵貯事業のクレジットカード業務の実態を知る者たちには、驚天動地の決定だった。というのは、昭和50年代初頭から始まった郵貯の提携カードの発行実績をまったく無視した決定だったからである。 「部外不公表」とされた当時の状況の一端をご紹介しよう。2007年9月末現在で、最も高い実績を誇ったのは、クレディセゾンで、累計発行枚数は422万1425枚(シェア45.7%)。次いで、三菱UFJニコス154万7908枚(同16.8%)、オーエムシーカード116万7509枚(同12.6%)の順となっていた。 これに対し、ジェーシービーはわずか22万8647枚(同2.5%)で6位に甘んじていた。さらに、三井住友カードとなると、わずか1万9473枚(同0.2%)と18位の泡沫業者に過ぎなかった。 また、クレディセゾンなどの共用カードでは、発行コストは提携先が負担し、ゆうちょはコストを負担していなかった。ところが、「ゆうちょが自前カードを発行する制度に代わった途端、今度は、そのカードの発行事務費用を三井住友カードに支払う仕組みになった」(総務省幹部)というのである。 当然、郵貯の現場はこの決定におおいに反発した。というのは、クレディセゾンは郵貯との提携カードの普及のために会員年会費無料を維持してきたばかりか、郵便局の現場でのカード会員募集のためのアルバイトの使い方などノウハウを惜しみなく提供してきた経緯などがあったからだ。昨年5月のスタートの際に、ゆうちょ銀行が「初年度100万枚」という目標を掲げたが、関係者は、これも「現場の反発を煽った」と実情を明かしている。 紙幅もないので詳細は省くが、実は、こうした三井住友ビイキは枚挙に暇がない。例えば、郵便局の窓口が使う販売促進の文具・日用品の仕入先。これについては、従来、郵政ファミリーが独占し利権の温床とされていたので、挿げ替えるのは当然のことだったと思われる。ただ、提携先を挿げ替えた結果、「以前より、仕入れ価格が上昇した」と話す郵便局長が意外に多く存在することは笑えない事態と言わざるを得ないだろう。ちなみに、この仕入れ会社は都内に本社を置く企業だが、メーンバンクが三井住友銀行なのだ。 さらに言えば、対象を、オリックスや三井住友に限らない“出来レース”疑惑としては、本コラムで以前に取り上げたメルパルク(旧郵便貯金会館)もある。ちなみに、この施設の賃貸契約が、以前に本コラムで報じた通り(2月6日付、「かんぽの宿」情報開示拒む郵政に、メルパルクや宅配でも不透明の指摘)、競争入札の手続きを経ない不透明極まりないものであったことは、3月11日の参議院予算委員会の尾立源幸議員(民主党)の質問でも裏付けられている。
いったい、なぜ、日本郵政では、これほどまでに乱暴で、不透明な出来レース疑惑が後を絶たないのだろうか。その原因を探るには、単に西川社長ら経営の実行部隊の責任を問うだけでは不十分だ。 むしろ、日本郵政は、指名委員会、報酬委員会、監査委員会を備えて立派な委員会等設置会社の形を持ち、壮々たる財界人が名を連ねる取締役会が存在するにもかかわらず、なぜ、それらがここまで機能せず、このような迷走を許してきたのだろうか。あるいは、なぜ、この段階に至っても、委員会や取締役会の側から、事態収拾のため、西川体制に改善を要求する声があがらないのだろうか。是非、解明していただきたい点である。 筆者が再三、様々な媒体で指摘してきたように、民営化のあり方や制度にも目を向ける必要があるはずだ。資産売却や提携を巡る外部からの監視制度が、NTT、JR、日本たばこ、成田空港など過去の民営化企業と比べて甘いのは、何度も指摘してきた通りである。 最後にもうひとつ付け加えるならば、制度設計の際に、為政者・リーダーがとるべき基本的な姿勢である。 最近、当時の責任者だった竹中平蔵元郵政民営化担当大臣の著作「構造改革の真実」を読み直してみて、いくつか興味深い記述を発見した。ご紹介すると、「方法は、一つしかなかった。(中略)作業部隊をあらためて作って、その案を経済財政諮問会議に小出しにしていく、というやり方である」「諮問会議は、作業部隊で作られた案をオーソライズする場だと割り切る必要があった」「諮問会議での議論を遅らせる一方、内輪のグループで、一気に案を練り上げるべくひたすら議論を重ねた」「このゲリラ部隊のミーティングは、平日の夜九時以降か週末しかない」といった部分である。これらの記述を読むと、竹中元大臣は、自身の内輪の限られたメンバーとの議論だけで重要事項を決定しており、それについてオープンな議論をする気がなかったことが浮き彫りだ。 筆者は、限られた時間で、何よりも民営化の実現だけを最優先するということが至上命題だった状況においては、そのやり方のすべてが間違っていたと言うつもりはない。しかし、竹中氏が今になって、各方面で、当時の正当性と今なおそれが万能といわんばかりの主張を繰り返しているのは聞くに堪えない気がしている。 当時、明らかな行き過ぎや欠陥を指摘してよりよい改革を迫る意見と、明らかな抵抗勢力の反対の声を区別せずすべて無視。強引に通した民営化(株式会社化)のプランに限界があったことは、もはや率直に認めるべきである。そのうえで、さらなる改善を目指すのでなければ、今度は竹中大臣らがただの抵抗勢力に成り下がってしまうことを自覚すべきではないだろうか。 PR |
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