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2008 11,26 09:00 |
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1941年11月26日は、アメリカが日本に対して『ハル・ノート』を突きつけた日に 『ハル・ノート』(Hull Note)。正式には、『合衆国及び日本国間の基礎概略』(Outline of proposed Basis for Agreement Between The United States and Japan)と言い、開戦前夜の昭和16年11月26日、アメリカ国務長官、 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
下記に一般に知られている概要を書きますが、それを読んでからでは・・・ まず・・・第二次世界大戦中、米国政府内にはルーズベルト大統領の命令で、 当時の報告書を見ると、米国は中国の豊かな資源に注目し、 中国の資源獲得のために、日本を「利用」するという戦略です。 米国は、1930年代当初から、中国の共産主義を全面的に支援していました。 そしてココで忘れてはならないのが『世界恐慌』が起きたのが こうした調査班の中心に居たのがオーエン・ラティモアであり、後に悪名高い 日本への鉄輸出を禁止し、他の業者を排除し、日本への軍事用鉄鋼輸出の ブルームがブッシュの命令で日本軍に兵器を運び込み、里見が支払う。 また、里見の部下には、吉田茂(後に自民党総理大臣、麻生太郎の祖父)、 アジアに第二次大戦を「飛び火」させるために、石油と鉄の「管理貿易」を このハルを始めとしたUSTRの「自由貿易推進」グループは、現在米国最大の
当時、日本は、アメリカ(America=A)・イギリス(Britain=B)・ [甲案](概要) [乙案](概要) 「日本にとって最大の問題は「南進」(仏印・蘭印への進出)では無く、耐え難くなりゆく「喉輪(のどわ)攻め」(レスリングの攻め技の一つ。ここでは「経済封鎖」を指している)を何としてでも振り解(ほど)く事だった」 「日本の真に重大な譲歩は東条内閣が作成した「甲案」であり、「甲案」において日本の譲歩は極限に達した」 「ハル・ノート」(概要) 「私は日米交渉から足を洗った。今や、この問題は貴方とノックス(海軍長官)、すなわち陸海軍の手中に落ちた」(ベアード『ローズヴェルト大統領と戦争の到来』) 「(前略)帝國ノ周邊ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戰シ、更ニ帝國ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ與ヘ、遂ニ經濟斷交ヲ敢テシ、帝國ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ。(中略)彼ハ毫モ交讓ノ精神ナク、徒ニ事局ノ解決ヲ遷延セシメテ、此ノ間却ツテ益々經濟上軍事上ノ脅威ヲ増大シ、以テ我ヲ屈從セシメムトス。斯ノ如クニシテ推移セムカ、東亞安定ニ關スル帝國積年ノ努力ハ悉ク水泡ニ歸シ、帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ瀕セリ。事既ニ此ニ至ル、帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ。」 ・・・と表明している様に、日米交渉を妥結しようとせず、殊更(ことさら)、日本に「無理難題」な要求を提示し、遂には日本を「対米開戦止むなし」と言う所にまで「追いつめた」アメリカにこそあるのではないでしょうか? PR |
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