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2008 09,14 17:00 |
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福井新聞 2008年09月07日 京都のまちなかの家でふだんの食事を「おばんざい」と呼ぶ。 江戸時代からの大(おお)店(だな)を今に伝える杉本家のおばんざいを 杉本家は商家で文化遺産も多く個人で維持できないと 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
・・・って事で、杉本 節子さんの連載の一部をご紹介したいと思います。
ところで、このお番菜。使う材料によって「おぞよ」という、また別の呼び方が昔はあったんです。私ら京都人でも、もう耳にしなくなった言葉ですけれど。 おぞよというのは、安うてぎょうさんある食材を使ったもののことで、おから、あらめ、お豆腐など、だいたいお昼に食べるものを指しました。忙しい日頃のお昼は、とりあえずご飯に合わせるちょっとしたおかずがあればそれで充分。安くて、作るのに手間がかからない手軽なもの、そういう感覚です。今回紹介するおから、あらめ(海草の乾物)といった季(とき)知らずの材料を使った「おぞよ」の他に、鰯(いわし)、鯖(さば)、秋刀魚(さんま)といった背の青い魚、なっぱの炊いたものなどが「おぞよもん」(おぞよもの)です。要するに、使う材料の格によって、呼び方にも、食べ方にも区別があったということです。例えば、鯛、平目なら、骨や皮を使ったものだって、おぞよとは呼ばないわけです。お番菜というのは、魚でも野菜でも、ちょっと材料を良くしたり組み合わせたりして、献立の1品として見る事ができるようなものをいうのです。日々の暮らしが豊かになるにつれ、常(ケ)の日と晴れの日の線引き、区別をつけるという生活感が薄れていきました。今では、おから、あらめを使ったおぞよも、上物の鯛や海老なども、みんなひっくるめてお番菜というようになってしまいました。 お番菜というのは「始末の料理」やといわれます。お金をかけんこと、そして、安い材料でも端っこまで使い切り、作ったもんは残らんように食べ切ることが食材への感謝の気持ちを表すことでもあり、これが、京商家に暮らす女たちの美徳とも言うべきものだったんです。慎ましく始末しながら生きる中に、家族の健康と商売繁盛、家の発展を願う気持ちが込められた料理。これが京都のお番菜の原点なのです。 節子の番菜覚 PR |
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