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2008 09,07 16:00 |
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Japan on the Globe-国際派日本人養成講座 H20.08.03 ■1.目と芽、鼻と花、歯と葉■ 目と芽、鼻と花、歯と葉、耳と実(み)、頬と穂(ほ)。 万葉学者の中西進氏の説によれば、これらは語源が共通しているから たとえば、鼻は顔の真ん中に突き出ている。同様に「花」も、 「からだ」とは、幹をあらわす「から」に接尾語の「だ」がついた 古くは手足のことを「枝(えだ)」と呼んだ。「手」「足」と もう明らかだろう。我々の先祖は、植物も人体も同じものだと 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
■2.咲く、幸い、盛り、岬、酒■ 花が「咲く」のと、人の「幸い」も同根である。「幸い」は 「さく」は「咲く」である。ものがそのピークの状態になることを 「はひ」は「延ふ」で、ある状態が長く続くことを指す。 とすると、「さきはひ」とは「咲く」という花の満開状態が 現代人は「幸福」とは何か、などと抽象的に考えるから、
人が最も燃える時期が「青春」だが、同様に春に草木の生命力が この後に、前述の「花盛り」を過ぎて、実が「なる」時期が到来する。 やがて人も草木も老いて、生命力を失っていく。植物では水分を失って 植物の命が絶えるのは「枯れる」である。 体から離れた死者の魂は、「ねのくに(根の国)」に戻ると
「生きる」「息(いき)」「命(いのち)」は、どれも「い」で 「いのち」の「い」は、「生く」「息」と同じである。そのほかにも、 「いのち」の「ち」は不思議な力を持つもの、すなわち霊格を表す言葉で、 したがって、「いのち」は「忌(い)の霊(ち)」とでも言うべき、
『万葉集』の相聞歌に、中臣女郎(なかとみのいらつめ)が大伴家持に贈った、 直(ただ)に逢(あ)ひて見てばのみこそたまきはる命に お便りだけでなく、じかにお会いしてこそ、「たまきはる命に向う」 「命に向う恋」とは、諸説あるが、ここでは、自分の生命力の根源である 「たまきはる」とは何か。「たま」とは霊魂である。「きはる」は 「命に向かうわが恋」を「命を賭けた恋」とする解釈もあるが、
「恋い」とは、「魂乞(たまご)い」であり、恋人の魂を乞うことだ、 「乞ふ」とは離ればなれとなっている恋人同士が、互いの魂を呼び合う そう考えれば、「わが恋止(や)まめ」とは、「あなたの魂を乞う思いが、 「恋ふ」と同様な言葉に「思ふ」がある。 「悲し」という言葉もある。「妻子(めこ)見れば かなしくめぐし」とは
求婚することを古代の日本語では「よばふ」と言った。 同様に「妻子の幸せを願う」などと言う時の「願う」は「ねぐ」に「ふ」が 同様に、「いはふ」は「言う」を続けること。 「のろふ」は、「のる」+「ふ」で、「のる」を続けることである。 日本の神様は、それぞれに支配する範囲が決まっていて、 古代日本人にとって、神様とはそのような身近な具象的な存在であった。
そうした神様の元祖が「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」である。 「天(あめ)」は「海(あめ)」でもあった。 水が大量にある所を「海(うみ)」と言う。 この「みつ」から「みづみづし」という言葉も生まれた。
以上のような大和言葉で歌われるのが、和歌、すなわち「日本の歌」である。 「いのち」という言葉に根源的な生命力を感じたり、 そのような和歌を集めた歌集として、現存する最古のものが万葉集である。 当時の語彙の数は、「古代語辞典」で解説されているものだけでも 万葉集は、歌い手としては天皇から一般庶民に至るまで区別なく登場 現存する日本最古の漢詩集『懐風藻(かいふうそう)』は、 このいきさつを考えると、和歌は日本人の固有な韻文に対する 日本語は歴史的に中国や西洋の概念用語も積極的に取り入れつつ、 これは世界最古の皇室を戴きながら、世界の経済大国・技術大国であると PR |
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