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高村外相、舛添厚労相ら留任 公明・斉藤氏が環境相 共同通信 2008/08/01 20:25 福田康夫首相は1日夕、改造内閣の顔触れを決めた。野田聖子元郵政相を消費者行政担当相、首相補佐官の中山恭子氏を少子化・拉致担当相に起用するなど、17閣僚中13人を入れ替える大幅改造となった。留任は町村信孝官房長官のほか増田寛也総務相、高村正彦外相、舛添要一厚生労働相の4人にとどまり、小泉内閣以降の改造で最少。首相は国民に清新なイメージを印象づけ、政権浮揚を図る考えだ。 1日午後7時前、首相官邸への呼び込みが始まり、町村官房長官が記者会見して閣僚名簿を発表した。皇居での認証式は2日午前10時から行われ、福田改造内閣が正式発足する。 経済財政担当相は、消費税率引き上げに積極的な与謝野馨前官房長官。自民党の前執行部から財務相に伊吹文明前幹事長、経済産業相に二階俊博前総務会長、国土交通相に谷垣禎一前政調会長が起用された。法相は保岡興治元法相、農相は太田誠一元総務庁長官、金融担当相は茂木敏充元沖縄北方担当相。 初入閣組は、中山氏のほか自民党参院議員の林芳正防衛相、元文部総括政務次官の鈴木恒夫文部科学相、公明党政調会長の斉藤鉄夫環境相、林幹雄国家公安委員長の5人。 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
特集:福田改造内閣 横顔は 毎日新聞 2008年8月2日 東京朝刊 (留任は除く、敬称略)<似顔絵・所ゆきよし>
実直な人柄で知られ、派内では「人格者」で衆目が一致する。弁護士資格を持つ議員は多いが、数少ない裁判官出身の一人。議員当選後には、田中角栄元首相の「ロッキード裁判」の弁護団に加わった。 旧新進党からの出戻り組だったこともあり、初入閣となった森内閣の法相は当選9回の遅咲きだった。党内では憲法問題のほか、政治改革、司法改革、金融システム安定化などの議論を主導してきた政策通でもある。
「ねじれ国会」で難しい手綱さばきが求められる幹事長を務め、福田首相の信頼は厚い。ただ、「何事にも細かすぎる」との評もある。 旧大蔵省出身で、渡辺美智雄元蔵相の秘書官などを経て、83年に初当選。財政、税制、年金、医療制度など政策全般に通じる。江戸時代から続く繊維問屋に生まれた生粋の京都人。趣味は料理で、エッセー集「いぶき亭 四季の食卓」も出版するほど。自宅に党幹部を招いて手料理を振る舞うこともある。
文部政務次官や衆院文教委員長を歴任した文教のエキスパート。安倍内閣では改正教育基本法の成立に尽力した。毎日新聞政治部記者を経て、新自由クラブの河野洋平代表の秘書になり、86年に初当選した。 実直な人柄で、自民党に復党した河野氏と行動を共にした。06年に旧河野派を引き継いだ麻生太郎幹事長の参謀役。愛称は「恒さん」。昨年、「後進に道を譲りたい」と今期限りの引退を表明しており、異例の起用となった。
小渕内閣での総務庁長官以来9年ぶりに閣僚に。古賀誠氏の側近で、00年の「加藤の乱」で旧宏池会が分裂してできた古賀、谷垣両派の合流に向けて奔走し、5月に結実させた。 福岡大助教授から政界入りし、90年代初頭には改革派として注目された。一度離党したが95年に復党。行政改革などで手腕を発揮したが、03年衆院選で落選した。05年衆院選で政界に復帰し、昨年秋からは党人権問題等調査会長。福田首相とは親類関係にある。
経済産業相は小泉内閣時代に就任しており、今回が2回目。調整力に優れ、国際交渉での手腕を見込まれての再登板となった。 93年に小沢一郎氏と自民党を飛び出し、03年の復党までに新進党、保守党など5政党の結成にかかわってきた。16人の少数派閥の長だが、政局の流れを読み取る嗅覚(きゅうかく)は抜群で、総務局長、総務会長など要職を歴任した。中国と太いパイプがあり、四川大地震の被災地には直接見舞いに出向いたほど。
小泉内閣で財務相を務めた。党内きっての財政再建重視派。06年総裁選に立候補し、社会保障財源確保のための消費税率引き上げを主張したが、安倍晋三前首相に敗れた。 昨年9月の総裁選では出馬を見送り、福田康夫氏の支持に回って党政調会長の座を射止めた。故宮沢喜一元首相に将来を嘱望されたが、温和な人柄から「迫力不足」と指摘される。趣味は自転車。休日には、SP(警護官)泣かせのスピードで疾走する。
工学博士の資格を持ち、かつて勤務した建設会社では、宇宙でのホテル建設など宇宙開発の研究に取り組んだ。米プリンストン大学で客員研究員も経験し、米航空宇宙局(NASA)の長官らと親交を深めた。 93年の衆院選で初当選。誠実な人柄で、党内外の信頼は厚い。ただ、ぎりぎりの局面での「腕力」は未知数とあって、初入閣で力量が試される。転居でわが子が登校拒否になった経験を持ち、教育改革にも熱心だ。
商社でサラリーマンを経験した後、渡米し、ハーバード大大学院に進んだ。米上院議員事務所スタッフとしても働くなど、多彩な経歴を持つ。父の林義郎元蔵相の秘書を経て、95年に政界入りした。 党内の若手では、政策通の代表格。参院では国会運営の駆け引きを演じる議運委員会の筆頭理事も経験し、幅を広げた。穏やかな人柄で知られ、趣味は楽器演奏。国会議員のバンド「ギインズ」を98年に結成し、話題を呼んだ。
運輸政務次官、党交通部会長、副国交相を歴任し、「自然災害に強い国土づくり」がライフワーク。また、選挙区内の成田空港の利便性向上を一貫して掲げる。 父の林大幹元環境庁長官の秘書を務めた後、千葉県議3期を経て、93年の衆院選で初当選。耐震データ偽造事件では、衆院国交委員長として姉歯秀次・元1級建築士の証人喚問を仕切った。政界では珍しい日大芸術学部出身で、07年から母校の客員教授も務める。
外交政策に明るく、小泉内閣では、副外相としてイラク戦争、北朝鮮問題を担当した後、03年に当選3回で沖縄・北方担当相に抜てきされた。衆院厚生労働委員長を務め、塩崎恭久元官房長官らと、年金問題についての提言も行っている。 新聞記者、米国での経営コンサルタント会社勤務などを経て93年、日本新党から出馬して初当選。95年に自民党入りした。活力にあふれていると言われる半面、「気が短い」との評価も。
明治の歌人、与謝野鉄幹、晶子の孫。中曽根康弘元首相の秘書を経て76年に政界入り。文相、通産相、官房長官と閣僚経験は豊富で、経済財政担当相は2度目となる。 消費税率の引き上げが持論。自民党では「財政再建派」のリーダー格だ。経済成長を重視する中川秀直元幹事長らの「上げ潮派」と論争を繰り広げる。ただ、選挙区は衆院東京1区という名うての激戦区。00年の衆院選で落選するなど、選挙が不得手なのが弱点だ。
05年衆院選で小泉内閣の郵政民営化に反対し、離党した「造反組」の一人。06年に復党した後、福田首相の消費者庁創設構想を積極的に支持し、担当相に抜てきされた。 鶴保庸介参院議員との離婚や、不妊治療を赤裸々につづった「私は、産みたい」の出版で話題を呼んだ。将来の党総裁選出馬への意欲を隠さない。少子化への対応や、夫婦別姓選択制について意欲的な発言を続ける。政界ではかなり知られた酒豪でもある。
02年から北朝鮮による拉致被害者家族担当の内閣官房参与を務め、家族会から厚い信頼を得た。安倍内閣では拉致問題担当の首相補佐官に就任。昨年7月の参院選で政界に転身後、福田内閣でも補佐官に再任され、今回担当相に上りつめた。 穏やかな語り口ながら、芯は強い。旧大蔵省出身で、ウズベキスタン大使時代に発生したキルギスでの日本人拉致事件では、武装勢力と粘り強く交渉して解放に結びつけた。夫は中山成彬元文科相。 PR |
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