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2008 07,13 15:00 |
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京都では祇園祭の季節がやってきました。 祇園祭は八坂神社の祭で、大阪の天神祭・東京の神田祭とともに、 ほとんどの方が知らないと思いますが、7月1日が 勿論、メイン・イベントは7月17日の"山鉾巡行"です。 祇園祭の神事や行事、風習など、色々とありますが、 もし、祇園祭を観に行くなら、この"山鉾"を観てみたい・・・なんてものを 山鉾巡行 くじ改め(あとの巡行)動画 「祇園祭の山鉾」に興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
京都新聞の祇園祭の特集ページです。
※各アドレスをクリックすると、音声でご説明します。(mp3)
四条通烏丸東入ル「長刀鉾」
四条通烏丸西入る「函谷鉾」
綾小路西洞院西入ル「芦刈山」 「芦刈山」公式ホームページはhttp://www.ashikariyama.org/
油小路通仏光寺下ル「太子山」
室町通綾小路下ル「白楽天山」 「白楽天山」公式ホームページはhttp://hakurakuten.hp.infoseek.co.jp/
綾小路通室町西入ル「綾傘鉾」 「綾傘鉾」公式ホームページはhttp://www.ayakasahoko.com/
綾小路通西洞院東入ル「伯牙山」
四条通新町東入ル「月鉾」
錦小路通室町東入「占出山」
室町通四条下ル「鶏鉾」
室町通四条上ル「菊水鉾」
東洞院通高辻下ル「保昌山」
室町通蛸薬師下ル「山伏山」
四条通新町上る「放下鉾」
新町通高辻上ル「岩戸山」 「岩戸山」公式ホームページはhttp://www.iwatoyama.jp/
新町通綾小路下ル「船鉾」
新町通六角下ル「北観音山」 「北観音山」公式ホームページはhttp://www.rokkaku.com/
蛸薬師通室町東入ル「橋弁慶山」 「橋弁慶山」公式ホームページはhttp://www.hashibenkei-yama.com/
室町通六角下ル「鯉山」 「鯉山」公式ホームページはhttp://www.koiyama.com/
室町通三条下ル「黒主山」
六角通烏丸西入ル「浄妙山」
新町通錦上る「南観音山」
新町通三条下ル「八幡山」 「八幡山」公式ホームページはhttp://www.hachimansan.com/ ココからはラジオコーナー「祇園祭・山鉾たより」の 「霰天神山」(あられてんじんやま) 永正年間、京都が大火にあった際、急に霰が降り、たちまち猛火は鎮火したが、霰とともに小さな天神像が降りてきた。そんな由来から、火よけの神様として祀られたのがおこり。霊験はあらたかで、多くの山鉾が焼けた天明、元治の大火にもこの山だけは残り、町の誇りになっている。「雷(らい)よけ火よけのお守は、これより出ます…」。宵山に子供たちが歌いながらお守授与の受け付けをする。檜皮葺きの立派な社殿が山に乗る。
京都市下京区仏光寺通西洞院西入ル木賊山町の山。世阿弥の謡曲「木賊」から着想され、木賊刈りの老翁が別れた愛児を思いながら舞う場面を表現している。等身大の老翁像は足台に元禄5年(1692)の墨書があり、右手にかま、左手に木賊を持つ。
中国・24孝の1人、孟宗は、母親が病気になったため、好物のたけのこを求めて竹林を歩きまわったが、寒の季節で1本もない。疲れて座り込んでしまったとき、たけのこが出、母親は元気を回復した話からきている。町名が笋(たかんな=たけのこの意味)町というのもこれに由来する。白綴地に雄渾な筆致で孟宗竹林が描かれた見送りは、竹内栖鳳の筆。極彩 色が多い山鉾のなかで、墨一色が異彩を放っている。
山には屋根がないのが普通だが、この山は日覆障子を乗せている。金地彩色法相華文の板絵として他の山にない古い形式を残している。名前の由来は、中国の史話にある貧しくて母と子を養えない郭巨が、思い余って子を山に捨てようしたとき、土の中から金の釜が現れ、母に孝養を尽くした話による。人形は、鍬を持つ郭巨と紅白の牡丹の花を持つ童子の2体。 「郭巨山」公式ホームページはhttp://www.kakkyo-yama.org/
1987年、実に117年ぶりに巡行に復帰した。元治の兵火のあとも巡行に加わっていたが、明治5年以降、消滅同然となり、道具類も散逸していた。綾傘同様、壬生六斎の棒振り、囃子での協力が復活に力になった。祇園唐草模様の大傘に錦の垂(さがり)で飾った花傘は応仁いらいの傘鉾の原形を伝える。赤熊(しゃぐま)鬼面 の棒振り、踊り手、囃し方が歩くさまは地味だが、素朴な味わいがある。
町名(風早町)の由来であるお公家さん・風早家の屋敷があり、この屋敷に祀られていた天神=菅原道真を祀ったという言い伝えがある。山は、立派な朱塗りの鳥居が特徴だ。天神さんと関係深いのが梅の花。松と一緒に立てられた紅梅が、華やかな雰囲気をかもしだす。見送りの毛綴(けつづれ)が名高いが、山所在地近くで生まれた故梅原龍三郎画伯の富士山の絵をもとにした綴になっている。
かまきり山、とも。文字どおりカマキリが屋根の上に乗り、子供たちも喜びそうな楽しい趣向だ。「蟷螂の斧」とは、自分の力のほどをわきまえず、大敵に立ち向かうことだが、その勇猛さを賞した中国の君子の故事が出典。町内の事情で、明治初め以降巡行をやめたが復帰した。
鈴鹿山は、旧東海道の難所・鈴鹿峠をいう。畿内と東国を結ぶ要衝として、歴史上のエピソードも多い。商人を狙う盗賊が多かったことが、鬼が出る、に転化したようだ。この山の神・鈴鹿明神(瀬織津姫命)の伝説も鬼退治のおはなし。大なぎなたを手に、立て烏帽子の女神の姿がりりしい。
鈴鹿山と共に山鉾町最北の山。役行者(えんのぎょうじゃ)は自ら修行するだけでなく、庶民の中に入って医療などにつとめた僧。古くから民衆に人気があった。人形3体はその役行者をまん中に、鬼の顔の一言主神、葛城女神。三者の関係はさだかではないが、者が大峰山と葛城山のあいだに橋を架けようとして、鬼を使ったとの伝説によるらしい。人形が多いだけ山のサイズも最大級。 PR |
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