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2008 04,29 12:00 |
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本日、4月29日は、京都 伏見の城南宮で 庭園を流れる川のほとりで、十二単のお姫様や、狩衣の公家たちが 木漏れ日もやわらかな平安の庭を、ゆるやかに曲がりながら流れる 色とりどりの狩衣(かりぎぬ)や小袿(こうちき)といった 琴の音が響く中、歌人はその日の題にちなんで和歌を詠み、 宴の間には白拍子の舞も静々と披露され、ゆったりと時間が流れる王朝の雅を 曲水の宴 京都城南宮 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
曲水の宴(きょくすいのうたげ)は、平安時代の優雅な貴族の文化を今に伝える行事で、男性は狩衣(かりぎぬ)を身に付けて公卿に、女性は小袿(こうちぎ)姿となって女房に扮し、城南宮の楽水苑を流れる遣水(やりみず)のほとりに座って、上流から流れてくる杯が自分のところに着くまでに和歌を詠んで短冊に記す遊び。見事和歌を詠み終えた歌人たちは、目の前の杯をとり上げ、満たされた酒を飲み干していた。
この優雅な遊びをはじめたのは、4世紀頃、東晋時代の中国で、楷書・行書・草書という現在の代表的な3つの書体を完成させて書聖と称された王羲之(おうぎし)といわれている。王羲之は竹林に囲まれた風光明美な土地にある蘭亭に皆を集め、右へ左へと曲がりつつ流れる小川のほとりに座って、一句詠んでは酒の入った盃を飲み干して皆とともに禊(みそぎ)としたといわれている。この儀式が行なわれた春は、暖かくなって過ごし易くなると同時に疫病が流行り出す季節。そのため古代の人々は野山や河原に出て水を浴び、身を清めて無病息災を祈っていた。王羲之が行なった曲水の宴は、その習慣を風流にアレンジしたものだ。しかし奈良時代の日本では禊の意味が次第に薄れはじめ、曲水の宴は貴族たちの間で春の野に出て歌を詠む優雅な遊びとして定着する。日本書紀によると、顕宗元年(485年)には宮廷の儀式として行なわれており、やがて趣味人たちの遊びへ、しそして民衆にまで広がり楽しまれていたという。
この曲水の宴で、酒を満たした杯をのせて流す台となっているのが 羽觴(うしょう)だ。「羽觴」とは、もともとは雀に見立てて作られた杯のことで。翼の形をしていた。唐の詩人李白が「春夜宴二桃李園一序」で、さかんに杯をやり取りする様子を「羽觴を飛ばして月酔う」と詠んだことから酒杯をさすようになった。城南宮の曲水の宴では、実際に羽を重ねて水鳥の形にこしらえた羽觴に朱塗りの杯をのせて遣水に流している。この城南宮には鳥羽離宮の築山の遺構といわれる「春の山」のほかに、「平安の庭」「室町の庭」「桃山の庭」という3つの時代の特徴を供えた庭と、苔と白砂でできた「城南離宮の庭」がある。苑内には源氏物語に登場する約100種類の植物が植えられていて、事前に予約すると神職の方が一緒に歩いて説明をしてくれる。また、神社の鎮座する伏見の地は「伏水」とよばれる美味しい水が湧くことから月桂冠や黄桜といった有名な酒蔵が並ぶ場所。苑内にも泉が湧き出ています。 PR |
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