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2008 04,13 10:00 |
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長寿で苦しむ「後期高齢者医療制度」 【岸田コラム】岸田 徹 2008年4月8日 ラジオからはかぐや姫の「神田川」が流れ、テレビの画面には、学士横綱の輪島が土俵を踏み、最後のアメリカ兵が南ベトナムから追われるように逃げ出し、日本赤軍が日航機をハイジャックしドバイ国際空港で爆破、謎の金大中事件を映しだしては、麻丘めぐみが「私の彼は左きき」と歌い、ドラえもんが始まった。首相は角さん。五島勉が解釈した「ノストラダムスの大予言」が売れた。これが、東京オリンピックから9年後の1973年の日本だった。 映画では小松左京の「日本沈没」が話題となったが、前年に出版された有吉佐和子の「恍惚の人」が映画化され森しげ久彌が痴ほう症の老人を熱演した。本はベストセラーとなり老人介護問題はすでに関心が高かった。 『楢山節考』(1958) [Trailer] 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
この年から、老人医療費が無料になった。日本人の貯蓄率の高さは当時から特筆されるものだったが、その理由は「老後に備える」という日本人共通の憂いからだった。これが、老人医療の無料化によって徐々に遠のいていった。若者は一生懸命働けば21世紀の老後は国の社会保障制度が生活を支えてくれると教えられた。 ところが、老人医療の無料化は10年で挫折を迎えることになる。挫折の理由は二つ。 ひとつは、医療を受ける側と施す側の経済意識の欠如と高齢者の人口増加だ。人間の判断には普通、経済原則が付きまとう。高ければやらないし安ければ納得する。医療は常に進化しているから、患者にとって何が最適な治療なのかの判断は突き詰めれば困難だ。そこに経済原則の判断があっても当然なのだが、人の命を救う行為は経済的な問題を無視することがよくある。制度上経済問題を無視した医療制度は、当然のことのようにお金のかかる、時には実験的な先端医療になりがちだ。その患者の数は減ることを知らないという現実が無視できなくなった。 もう一つは、日本の医療保険制度の問題だ。 加えて、老人の医療は複雑、長期化の傾向があり、老人以外の医療費の5倍かかる。以上の理由から老人医療の無料化は1983年で終わり、外来は月に400円、入院は1日300円の負担という定額の自己負担が始まり、その額はどんどん引き上げられ、ついに21世紀の2001年には医療費の1割を支払うことになった。 これと同時に、政府は各組合間の構造的な問題である国保の負担増に対処するため、老人医療費にかかる負担を各保険組合の拠出金でまかなうこととし、保険組合の一本化には手をつけなかった。老人の医療費は、こうして、7割を各保険組合が共同で負担し、残りの3割を国と地方自治体が負担していた。 各保険組合は、この7割の負担で次第に財政難に直面するようになった。そこで、小泉構造改革では第2次医療制度改革が行われ(2006年)、これが実施されたのが今月からの後期高齢者医療制度の創設だ。 これで、国民は75歳になると全員各保険組合から脱退し、各都道府県の地域で全市町村が組織し運営する後期高齢者医療広域連合の保険組合に強制的に加入することになる。この保険組合が保険料を集め、医療費を支払い、その医療費が適切かどうかを監視する。保険料は、国が5割、75歳以上の高齢者がいなくなった各保険組合が4割、75歳以上の高齢者が1割を支払う。高齢者は扶養してようがされてようが各自から徴収する。実際に医療を受ける高齢者の患者負担は1割だが現役並みに所得がある人は3割負担となる。 国民健康保険組合や政府管掌保険組合などの既存の保険組合は、もっとも医療費がかかる後期高齢者がいなくなったことで、財政の健全化が図れるのだろう。 一方、その分を誰が負担するかと言えば、国と高齢者本人だ。税負担が高くなり、高齢者の保険料は年金から自動的に引かれることになる。国と高齢者は負担が大変だとつい思ってしまうが、事はそんなに単純ではない。国の負担はわれわれが払っている税金だし、高齢者の負担といっても自己負担できる人とそうでない人がいる。高齢者を扶養家族に抱えているサラリーマンは、高齢者の年金から差し引かれた保険料分を無視することはできないだろう。何らかの形で補てんしてあげることになるのではないか。 結局、いくら制度が変わっても、高齢者の医療費を負担するのは現役世代だ。国が5割、保険組合が4割、高齢者が1割と言っても、国は税金で所得や消費のある現役世代が払っているのがほとんど、保険組合の収入は現役世代が払っている保険料だし、高齢者が負担する1割も年金から徴収するとなれば、その年金原資は現役世代の保険料だ。すべて現役世代に帰結してしまう。 年間支払われている全国の医療費は32兆円だ。そのうちの老人医療費は10兆円を超える。これを国がどのように扱うかは国の姿勢の問題だ。莫大な借金を抱えながら10兆円の医療費を負担することは大変なことだ。じゃ、どうするのか。この選択は本来国民がすべきものだ。たとえば、防衛費は5兆円だ。他国が侵略してきて国が滅びるのと、老人が絶望して失意のうちに一生を終わるのとどちらを選ぶのか。また、消費税は10兆円だ。2倍にすれば老人医療費が当面賄える。税金の重圧と老人医療への安心感とどちらを選ぶのか。公共事業費は7兆円だ。防衛も半分、工事も半分にして老人医療を負担するのか。この選択が本来の国のあり方だ。少なくとも民主主義国はそうでなくてはならない。 これが、国民の選択がないままに負担増ばかりが押し付けられる。今月から始まった後期高齢者医療制度も、実は小泉郵政解散時(2005年の衆議院選挙)の公約でトップに掲げられていたものだ。ところが、世間の関心事は郵政民営化一本で、議論が行われていたのは刺客を送った小泉さんのやり方の是非だ。この選挙で自民党は圧勝し、公約の実現とばかりに今から2年前に医療制度改革法案は衆議院で可決された。 こうして国家のあり方に意思を表明できずに生きてこられたひとつの世代が、75歳の方たちではないのか。扶養家族の医療費が5割負担だった1970年当時は37歳で働き盛りの大黒柱だ。両親や祖父母の医療費を負担し、高齢医療が無料化された年は40歳でまさに日本の成長の推進役。ばっちり健康保険料を徴収され、定年を迎えたら1割負担の医療費で、ついには金食い虫扱いで年金から保険料を差し引かれてしまう。思い出せば終戦時は12歳の食べざかり。食べたいものも食べられず、腹いっぱいおいしいものを食べることを夢見て荒廃した国家でがむしゃらに働き日本の高度成長を実現させた。恐らくひとこと言いたい気持でいっぱいだろうが、病院通いの身ではままならない。これが国家の現実かと思うと気が失せる。 PR |
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