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nikkei BP net 2008年2月4日(月)21時00分 ■もはや豊かな国ではない もはや日本は豊かな国とは言えない。昨年末に内閣府が発表した「国民経済計算確報(2006年度)」によると、日本の1人当たりGDPはOECD加盟30カ国中18位となった。2000年度時点では世界3位にあった日本の1人当たりGDPは、以降毎年順位を下げ、今では下から数えたほうが早い位置にまで低下した。 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
1人当たりGDPが3万ドル前後のこのグループには、日本のほかにイタリア・スペイン・ギリシアなどが含まれる。ちなみにOECD加盟国で最下層の第4グループを構成するのは、韓国・ポルトガル・ポーランドなどの中進国だ。つまり日本の位置づけは、先進国の中では最下層に沈んだことになる。 2000年度から2006年度までの6年間で、日本の1人当たりGDPは欧州諸国やカナダ・オーストラリアなどにごぼう抜きにされた。そして今ではイタリア・スペイン・ギリシアといったEUの中では貧しい部類に属する国に追いつかれつつある。日本が「お金持ちの国」だったのは、もう過去の話だ。 もちろん日本の1人当たりGDPが相対的に低下している背景には、円安ユーロ高の影響もあるだろう。しかし2006年度当時の為替相場は1ユーロ140円台だった。ユーロ高の影響が本格的に表れるのは、むしろこれからだ。つまり2007年度の日本の順位はさらに低下する可能性が高い。 世界経済における日本の存在感は急速に薄れつつある。そして日本人はどんどん貧しくなっていると、受け止めなければならない。
実際に日本の購買力は、近年著しく低下している。日本銀行の統計によると円の実質実効為替レートは、1880年代前半の水準に戻った。実効為替レートとは、円と主要な他通貨間の為替レートを、貿易ウエイトで加重幾何平均したうえで指数化したものである。さらに物価変動の要因を調整して算出した指数が実質実効為替レートであり、これは客観的な円の強さを示している。 グラフを見ると、1980年代後半から1990年代までが、円が強かった時代であったことが分かる。この期間は円の価値が高く、われわれ日本人は豊かな購買力を保持していた。ところがその後、円の価値は急速に劣化した。現在の円の価値はかつての3分の2程度しかない。
振り返れば、1980年代の日本には最先端の産業が集積していた。それが日本の豊かさの源泉であったと考えることができる。日本が豊かさを維持するためには、産業構造をさらに高度化し、最先端のポジションを維持する必要があった。1980年代における最先端産業はエレクトロニクスビジネスであった。そして1990年代以降は、金融やITビジネスが最先端産業となった。ところが日本はこの流れについていけなかった。日本の金融・IT産業は、欧米の先進企業に太刀打ちできなかったのである。 通常は経済が発展するにしたがい、産業の主役は製造業からサービス業へ、そしてさらに知識集約型産業へと転換していく。産業構造の転換により製造業の比重が下がると、自国通貨高は産業のダメージとならなくなる。むしろ自国通貨高が国内市場の購買力を高めることが、内需産業にとっては追い風となる。その結果、金融・ITなどの知識集約型産業がさらに発達するという好循環となる。これが先進国における産業構造高度化のシナリオである。 ところが日本では、産業構造の転換がシナリオ通り進まなかった。日本の製造業は相変わらず一流だが、次世代の産業は二流のままである。次世代産業の競争力が弱く欧米企業との競争に勝てないので、日本経済は依然として製造業に依存している。産業構造の高度化どころか、製造業中心の時代に先祖帰りしている感さえある。
日本経済の状況は、こんな寓話に例えることができる。 「日本家のお父さんは、立派な工房を経営しています。お父さんはとても腕の立つ職人で、日本工房の製品は高く評価されています。貧しい農家に生まれたお父さんはとても働き者で、腕一つで立派な工房を育て上げました。 お金持ちになったお父さんは、息子たちを大学に入れ、ホワイトカラーにしました。ホワイトカラーは職人よりも賃金が高く、豊かな生活が送れると考えたからです。ところが息子たちの仕事ぶりはいまひとつです。仕事の効率が悪いので、出世も遅れがちです。 日本家では息子が一人前にならないので、相変わらずお父さんが家計を支えています。ところが最近は、隣の中国家が大きな工房をつくって、とても安い製品を供給するようになりました。日本工房の製品の評判は悪くないのですが、あまり高くは売れなくなりました。でもお父さんは必死の努力で工房の灯を守っています」 これに対して、アメリカ家の状況はこうだ。 「アメリカ家のお父さんは、大きな工房の棟梁でした。とても立派な工房で、お父さんは村一番のお金持ちになりました。お父さんは息子たちを大学院に入れ、銀行員やITエンジニアにしました。息子たちはとても優秀で、高い給料を取るようになりました。 その一方でアメリカ工房は日本工房との競争に敗れ、お父さんは工房をたたみました。でも息子たちが家計を支えてくれているので、お父さんは豊かな老後を過ごしています」 日本家の家計は、勤勉なお父さんが支えてくれている。しかし息子たちが早く一人前にならないと、豊かな生活を維持することはままならない。
現在の日本は、グローバル経済のトレンドから取り残されつつある。そして購買力の衰えは深刻である。これから日本の内需産業が、厳しい試練を迎えることは容易に想像できる。 内需系企業は、自社のビジネスモデルの抜本的見直しを図る必要がある。今まで多くの内需系企業は、海外の低コスト国から製品や原料を仕入れ、日本の豊かな消費者に販売するビジネスモデルを確立してきた。だがこのようなビジネスモデルは、もはや収益を生みにくい。また商品やサービスを高付加価値化することにより収益を確保する戦略も限界に近づいている。「ワンランク上」の生活を目指せる消費者は、年々少なくなっているのだ。
日本人が押しなべて豊かでいられる時代はすでに終わった。今後は消費者間の格差が、ますます拡大していくであろう。ただし現在の日本の産業構造を前提とした場合、高賃金の職を得られる人はそれほど多くない。グローバル企業で活躍できるような一部の人材はますます豊かになるが、それ以外の大部分の人は貧しくなっていくと考えざるを得ない。 われわれはそろそろ、「豊かな日本」「豊かな消費者」という幻想を取り払うべきであろう。「沈む日本」「貧しくなる消費者」という前提で考えたとき、多くの企業や個人は、今までとまったく異なる将来ヴィジョンを描く必要に迫られる。 「沈む日本」という厳しい環境を生き抜く処方箋は、以下の通りだ。 1)“豊かさ幻想”から脱却する まずは、“豊かさ幻想”から脱却することが重要だ。かつての日本が豊かであり、日本人が高賃金であったのは、世界最先端の卓抜した製品・サービスを生産できていたからだ。その前提が崩れたことを、直視しなければならない。 第2に必要なのは、「日本国内で通用すればよい」というドメスティック思考を断ち切ることである。グローバル化が進む今、日本という枠に拘泥することは有害ですらある。グローバルに通用しないものは、どこでも通用しない。仮に日本国内に閉じこもることができたとしても、それでは日本の衰退と運命を共にすることになる。 そして目指すべき目標はグローバルに通用する製品・サービスを生み出すことだ。この点は輸出産業だけでなく内需産業でも重要だ。グローバル化の進展に伴い、たとえ内需産業であってもグローバル競争と無縁ではなくなるからだ。そしてグローバルな競争力を身につければ、今後は非製造業であっても海外展開のチャンスが広がるはずだ。 事業のグローバル化を徹底的に進め、将来性の乏しい日本から脱出することも一つの選択肢だ。例えばホンダのように、日本市場に依存しないビジネスモデルを構築することができれば、日本と共に衰退するリスクを回避できる。ちなみにホンダの海外売上比率は、すでに9割近くに達している。 ここ数年回復基調にあった国内景気も、すでに曲がり角を過ぎたようだ。「沈む日本」の試練はこれから本格化する。「さらば! 豊かな国日本」と覚悟を決め、戦略の見直しに着手すべき時が来たようだ。 PR |
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