2024 11,24 09:58 |
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2007 11,28 21:00 |
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中国の崩壊を願う日本人、終わらない日本の偽装問題 中国経済の発展について、日本人の意識は複雑である。 僕の周囲の意見を聞いていると、経営者と、部長よりも下のサラリーマン―― “庶民”と言い換えてもいいかもしれないが――との意識の間には、大きな差があるように感じる。庶民の意識を1つの言葉にまとめると、「中国崩壊願望」という言葉がふさわしい。 いわく、中国で製造された物は不安であるとか、危険であるといったことから話が始まり、企業の情報開示が不十分であると言い、政治が一党独裁であることの問題点を指摘し、結論として、「あの国はいずれ崩壊するのではないか」という意見にたどり着く。 実際に中国製の食品から認可されていない添加物が見付かったり、材料の不正表示が行われていることが発覚したりといった事件が報道されると、サラリーマン庶民の意見は勢いを持つ。「やはりそうだったじゃないか」「中国経済の成長もそろそろ世界から見放されるはずだ」というわけだ。 一見もっともそうな意見だが、よくよく聞いてみると彼らは「中国に崩壊してほしい」という言葉を繰り返しているように聞こえてくる。聞かされているのは実は“意見”ではなく、彼らの“願望”ではないかと僕は思う。 では経営者はどうかというと、彼らの意識は少し違う。というより、明快だ。「中国市場は2010年ごろには倍になる」「数多の問題を乗り越えて、世界の工場としての中国の地位は今よりも強固になる」といった見解が主流に感じる。 そう自問していて、はたと気付いたのは、中国に乗じて“利益を上げられる者”と、中国に“利益を奪われる者”の温度差だということだ。
中国が発展することで、企業の代表者としての経営者は“利益”をそこに見る。一方、庶民の代表者としてのサラリーマンは、仕事を奪われるという“脅威”をそこに見、同時に嫉妬を感じている――その思いが、「中国崩壊願望」につながっているのではないかというのが、僕が考えたことである。 ここで、1960年代の日本企業を思い出してほしい。当時の状況は、ある意味で今の中国経済と似ていたのではないか。公害、粗悪品、不正材料、汚染……それらが引き起こす事件と訴訟。それらの事件の責任を取り経済界の一線から消えて行った企業もあるが、それでも日本は崩壊しなかったではないか。 むしろ多くの日本企業はそれらの社会批判を受け止め、乗り越え方を考え、学び、実践し、世界水準の経営ができるところまで成長した。1980年代には先進国から見た脅威となり、日米構造協議に代表される国家間の調整に貿易相手国は腐心した。その時代が、今、振り返ればこれまでの日本経済の頂点だったように感じる。 1960年代の日本と2000年代の中国を対比させれば、中国はこのまま多くの課題や苦労を乗り越えて、2030年ぐらいまでは全体として成長を続けていくのではないだろうか。そのような考えがまず浮かぶ。 もっとも、現在の中国には1960年代の日本とは違った側面もある。富める沿岸部と貧しい農村部の格差の問題。インターネットや携帯の発展による情報伝達速度の違い。世界的なエネルギー資源・鉱物資源の枯渇……。 そういった前提の違いを考えると、かつての日本経済のように安定した一党独裁の政権下で順調に経済発展が続くかどうか、不確定要素も大きい。大前研一氏が予言するように、中国はいくつかの地域に分かれた連邦国家として、かつての日本とは異なる発展をするかもしれない。 それでも日本の庶民が願うように中国が崩壊して、かつてのような「眠れる大国」に逆戻りすることは、あり得ないと僕は考えている。 むしろ、中国製品の危険を声高に叫ぶサラリーマン庶民に気付いていただきたいのは、足元にある“日本製品の危険”である。 食品の世界でいえば、社長が逮捕されたミートホープ社に始まり、比内鶏、白い恋人、赤福と、ここのところ立て続けに食品の偽装問題が発覚し、毎日のようにトップが庶民に対して頭を下げている。世間を騒がせた中国の“段ボール入り肉まん”は、後に虚構の報道だと判明したが、日本製品の偽装は現実社会の出来事である。 同じ“偽装の発覚”でも、その企業だけが打撃を被るレベルならまだいい。ニチアスの耐火性能偽装問題は、建売住宅市場を一気に冷え込ませる危険性をはらんでいる。約10万棟の住宅が、実際は法律の要求する基準を満たさない建材を使って建てられていた可能性があるというのが、現時点での状況だ。 偽装建材をつかまされた業界大手の旭化成ホームズは被害者としては迅速な対応を見せ、4万棟を無償改修すると発表した。旭化成グループの会社としての打ち手は相変わらず見事である。 ただ、問題は消費者心理だ。 住宅の世界では耐震偽装の問題でマンション市場が打撃を受けたのに続き、今度は建売住宅市場にも偽装があったことが判明したことになる。食品の場合はいくら日本製品に偽装があるといっても、消費者は何らかの食品を食べずにはいられない。だが住宅の場合、「今の製品は危ない」と消費者が考え始めると、買い控えが起きる。 ただでさえ地価が上昇し、上物のコストを抑えないと住宅供給が難しいと業界が嘆いている時期に、ニチアスの問題が起きた。自社が供給する住宅が、「安価だが安全である」ことをどうアピールすればいいのか、業界としては頭の痛い状況に追い込まれたことになる。 内部告発が進む理由は3つある。企業経営者に対する法令遵守の要請の高まり、内部告発を受けた関係官庁の対応の変化、そしてサラリーマンの転職の常態化である。 この3つの流れは、確実に前に進む。 今さら、「やはり法令遵守はそこそこでいいことにしましょう」という逆の流れは起き得ないし、インターネットを含め、これだけ人々の監視の目が広がってくると、関係官庁も告発に対する対応をうやむやにはしづらくなってきている。加えて終身雇用制度が崩壊した結果、社会悪となるような企業行動は、社外に出た元社員を通じて告発される可能性が増えたことになる。 そう考えると、この“内部告発3点セット”は日本企業には大いに当てはまる一方で、コラムの前半で取り上げた中国企業には当面、当てはまる感じはしない。中国社会がこのような問題に直面するのは、時代のアナロジーでいえば2020年代後半に入ってからではないだろうか。 実際に中国製品と日本製品のどちらが危険かという議論はさておいて、どちらが“偽装が発覚する可能性が高いか”といえば、それは日本製品だというのが、我々が置かれている経営環境なのである。 だとすれば、サラリーマン庶民は中国崩壊を願うよりも、自分たちの足元の崩壊をどう防いでいくかを考えた方がいい。内部告発の日常化は、日本経済にとっては後戻りできない新しい経営の前提だと僕は考えている。偽装発覚は、まだ終わることはない。これから2~3年は日本経済にとって試練の時代が続くだろう。 だが、この試練は、日本社会全体にとって悪いことではない。 社長の辞任がまるで“トカゲの尻尾切り”のようになってしまっては、日本経済は停滞するだけで前には進めない。そうではなく、前提が変わったことをいち早く受け止めて、偽装に終止符を打つ対応を我々は迫られているのだ。 謝罪会見で頭を下げている企業トップを「ざまあみろ」とサディスティックな気分で眺めるのは楽しいかもしれないが、そのようなサラリーマンの憂さ晴らしで済む問題では決してない。 偽装の発覚は、どの企業にもこれから等しく起きる可能性のある自分たちの問題であり、我々の経済を崩壊させないために乗り越えていくべき試練なのである。 PR |
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