2024 11,25 04:42 |
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2007 11,15 10:00 |
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----------------------------------------------------------- 【Digest】 ------------------------------------------------------------ ◇予想外の読売の対応 野中さんが希望したとおりの新聞部数、1480部が搬入され、これまで希望とは別に運び込まれていた余分な約900部の新聞はなくなったのだ。そのために、配達しない新聞を店舗の中に積み上げる作業はなかった。 日本全国の販売店には、総計で約4500万部の朝刊が搬入される。しかし、そのうちのすべてが配達されるわけではない。新聞社が販売店に対してノルマとして買い取りを押しつける新聞があるからだ。比率にすると推定で3割、あるいは4割といわれる。 これらの新聞は、新聞社が押し売りする新聞というニュアンスで、「押し紙」と呼ばれる。 「押し紙」の商慣行は、少なくとも1970年代には一般化しており、新聞販売店の経営を圧迫してきた。また、膨大な紙を破棄するために、環境問題としても水面下で指摘されてきた。独禁法の特殊指定も「押し紙」を禁止している。それにもかかわらず、公取委が「押し紙」を本格的に取り締まることもなく現在に至っている。しかし、読売新聞の販売現場で、ついにこの悪徳商法の一角が崩れ始めたのである。 YC大牟田明治が「押し紙」の排除に成功した前日にあたる6日にも、同じ大牟田市にあるYC大牟田中央で同様の光景が見られた。中島相互所長が希望した部数のみが店舗に運び込まれたのである。「押し紙」はなかった。 真村裁判の原告でYC広川の所長・真村久三さんが言う。 「まさか読売新聞社がこんなにあっさりと、販売店の要求に従うとは思いませんでした。わたしたちが読売を相手に裁判を始めたころには、考えられない状況が生まれています。それだけ時代が変わってきたということでしょう」 「増紙こそ正義である」という言葉がある読売の販売現場で起こった激変である。「押し紙」をして、公称部数を1000万部に伸ばしてきた読売が、販売政策の柱である「押し紙」を一部のYCで中止せざるを得なくなったのである。 その背景に何があるのか。結論を先に言えば、真村裁判の高裁判例がはやくも効力を発揮し始めたのである。 ◇真村氏に「押し紙」を相談 「わたしは2人から、『押し紙』問題についての相談を受けました。『押し紙』が全体の4割ぐらいあり、経営が立ち行かなくなってきたというのです」 2人の店主が相談相手として真村さんを選んだのは、真村裁判の進展を見守ってきたからだ。真村さんは、2001年に、読売からYC広川の強制改廃を迫られた。真村さんに続いて、YC久留米中央とYC宮の陣の店主も、やはり改廃を突きつけられた。そこで、3人は地位保全の裁判を提起した。 読売が真村さんらに廃業を迫った背景には、販売店の整理・統合の計画があったと推測される。ところが読売は、正当な改廃理由をみいだせない。そこであるひとつの姑息な方法を使ってきたのである。真村さんらが業務実態を虚偽報告していたといういいかがりである。 続きはMyNewsJapanで PR |
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