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2007 03,20 14:44 |
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日銀はロスチャイルドが作ったPART 2 引き続き『最高支配層だけが知っている日本の真実』の中から 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
しかし、兌換するための正貨が当時の日本には絶対的に不足していた。 大隈案に代わって、横浜正金銀行は「直輸出金融機関」へと変貌した。 人事の面からも、横浜正金銀行の頭取から日銀の総裁という慣行があり、 大隈主導による明治日本の権力構造が変化するのが、 この結果として大隈が追放処分となり、薩摩・長州出身者が主導権を握ることに 大隈の後を襲って大蔵卿となったのは薩摩藩出身の松方正義である。 松方が中央銀行案を推進するのは、明治10年に渡欧して レオン・セーは、 ネイサン亡き後のロスチャイルド家の世襲権はパリ分家に移り、 このアルフォンス・ド・ロスチャイルドの「使用人」ともいえるのが、 レオン・セーは、アルフォンスの招きでまず北部鉄道会社に入り、 レオン・セーはロスチャイルド家の「使用人」であり「番頭」なのである。 日銀の役割は、さきに述べたように不換紙幣、つまり政府紙幣および国立銀行 松方はそのために国立銀行条例を改正し、国立銀行から貨幣発行権を 日銀券の流通前の日本経済はインフレ基調であり、物価は上がり続けていた。 松方は、この政策を開始するにあたって、太政大臣三条実美と右大臣岩倉を しかし、デフレはそう長く続かず、景気は次第に回復してくるのである。 ①デフレ政策により、輸出を促進し貿易収支を改善した。 ②朝鮮事件を契機とする軍事費の増大が財政支出を増やし、景気刺激となった。 ③銀貨と紙幣の価格差が縮まり、退蔵されていた正貨が市中に復帰し また、元日銀理事である吉野俊彦は『これがデフレだ!』の中で、 以上の説に加えて筆者は、日銀は中央銀行の「信用創造」政策、 たとえばある銀行が中央銀行に預ける準備金が一億円あるとしたら、 松方はロスチャイルドから、この「秘策」を伝授されて実行したのである。 銀行による貸出量操作こそが、一国の経済を好況にも不況にも操作できるのである。「中央銀行」という仕組みはこのように恐ろしいまでに強大なシステムである。 国家によって独占された一金融機関が一国の経済を操作していいはずはない。 ハイエクの初期の経済論文「貨幣理論と景気循環」には以下のような記述がある。 ・貨幣量の増加をもたらす三つの方法の中で最も重要なのは現在の観点から見て銀行による信用創造である。 ・恐慌の発生には、銀行が信用量の拡大を止めるだけで十分である。そうすれば遅かれ早かれ、恐慌は発生する。 このように、中央銀行は一国の経済の好況不況を人為的に操作できるのである。 一般銀行から貨幣発行権を取り上げて、中央銀行にその機能を集中するという ピール条令は正式には「イングランド銀行設立特許状の修正法」という。 これはまさに日本銀行の設立により、国立銀行から貨幣発行権を奪うスキームと同じであることが分かる。 貨幣発行権を取り上げて、中央銀行が設立される政策スキームは、アメリカに この中央銀行による貨幣発行権の独占こそが、金融独占資本による、金融支配のための道具となっているのであり、この状況はいまでも連綿と引き続いている。 金融を支配するものが世界の本当の支配者なのであり、それがヨーロッパや このように、「日本国王」といえども世界の実力者からみれば多くの国の中の 日本人が知らない恐るべき真実 より PR |
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