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2013 01,16 09:00 |
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「番頭はんと丁稚どん」舞台は大阪・船場の薬屋「毎宝堂」丁稚(大村崑・茶川一郎・芦屋小雁)番頭役は芦屋雁之助 『籔入り(やぶいり)』 【季節の言葉133】
月の始まり、すなわち第1日を「ついたち(一日・朔日)」と言います。
いまは週休制ですが、明治から昭和の初期までの労働者の多くは
農村は年中無休、百姓に休みは不用という苛酷な時代で、
江戸時代や明治のころは現在のように工業が発達していませんでしたから、
商店の丁稚(でっち)小僧はほとんどが住み込みで、
年中無休に近い商店の丁稚(でっち)小僧たちは年に二度、 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
実は薮入りは古くから行われており、
この日は、もともとは先祖の霊を祀る日であり、そのための里帰りであって、
仏教ではこの日を「閻魔(えんま)の賽日(さいにち)」といい、
「罪人を責めていた地獄の鬼さえもこの日は休むから、人間も仕事を休む」
また、中国では、無病息災を祈願して正月16日に寺で遊ぶ風習があり、
いずれにせよ、正月と盆は先祖の霊を祀る大切な行事があるので、 なぜ「籔入り(やぶいり)」と言うかについても諸説あります。
・奉公人が親元に宿入り(帰る)するからという説。(宿は生家のこと) ・・・・・などがあります。
『薮入り』は、奉公人の一番楽しい目標でした。
今は「ついたち」に特別な関心を持ちませんが、
京都の商人たちは、今でも「ついたち」と15日は大切な日で、
月の初めだから身も心も新にして、
京都では・・・と言うよりは、京都の商業の中心地であった西陣や室町
丁稚と言われる小僧さんたちは 短いキモノに前掛けをし、裸足でした。
年齢10歳前後から、親元を離れて商店に住み込みです。
中番頭(番頭)になると 足袋を履き仕事をしました。
大番頭になると羽織を着ました。仕事の色々な権限・責任を与えられ、 上記の例のように、仕事にはケジメと憧れを持たせたのです。
また中番頭には 暖簾分け(のれんわけ)と言う制度を設けました。 年齢的に結婚し、家庭を持ち、子供を育てるころです。
その為、お給金(給与)も沢山必要になります。その為の暖簾分けです。
大番頭は今で言う社長です。 家業を守ることの先人の潜められた悪知恵かも知れません。
また、上方の大商店では、長男には家を継がせず、
商店の繁栄と婚姻制に結びつけるユニークな制度です。
このような生産の中にある少年教育の場は、
丁稚(でっち)という言葉を聞くと関西では「丁稚羊羹(でっちようかん)」
・・・で、なぜその食べ物は『丁稚ようかん』と言うのか?
(1)いつでも,気軽に食べられ,丁稚にも買えるほど安いとか ・・・とする説があります。
江戸中期の文政年間(1818~29)に,明石の藤江屋寅吉が、
「藪(やぶ)」という言葉ですが、弥生(やぶ)の意味で、 英語で藪は "bush" "A bird in the hand is worth two in the bush."
・・・という諺があります。 『明日の百より今日の五十、今日できることは明日に延ばすな』
・・・といった感じの意味になります。
他にも、"beat about the bush" これは人の意向などを遠回しにさぐる、要点に触れないという意味です。
・・・で、日本では俳句等でも籔入り(やぶいり)については やぶ入りの夢や小豆(あづき)の煮えるうち・・・・・与謝蕪村
この句は、実家でささやかに小豆を炊いて子供の里帰りを迎える景色を そのほかに、
やぶ入の寝るやひとりの親の側・・・・・太祇
ちなみに古典落語にも、 PR |
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