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2012 12,05 10:16 |
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ドラッカーも語らない、すごい不合理の解決法
(抜粋) 彼は「ふんばろう」でも心理学や哲学の理論を応用、無償のボランティアが最大限に能力を発揮する組織運営を心掛けた。ツイッターやフェイスブックを駆使し、被災地を応援したい、支援を呼びかけたいという双方の需要をマッチング。 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
支援活動中には行政や既存のボランティア組織の「大組織病」とも闘った。そこで見えてきたのは戦後から変わらない日本が抱える問題。リーダーとはどうあるべきか、よい組織とは何か、解決策を見出す議論の方法とは何か。閉塞感が漂う日本で、西條が提言する「第3の道」に耳を傾ける人の輪が広がっている。 ――復興支援が一段落した今、何が見えてきましたか。 東日本大震災を経て感じたのは、みんながうすうす感じていた組織の不合理さ、どう考えてもおかしいというものが、ごまかしが効かないくらい露呈してしまった、ということです。 「おかしい」という共通認識はある。しかし、その状況を変える方法がない。方法がわからないから希望がない。絶望とは言わないまでも、この先どうなるのか、不安になっているのが現状ではないでしょうか。 復興支援の現場でも、絶対的に不合理な場面を何度も目にしました。たとえば、500人の被災者がいる避難所に300枚の毛布が届いた。すると行政はどうするか。「毛布を配らない」という選択をするのです。理由は「全員分の毛布がない中では不平等になる」というもの。これは、明らかににおかしい。 しかし、職員の誰もがその判断に従いました。なぜなら、高齢者や子どもなどに優先順位を決めて配布をするという前例がないからです。 大組織の中にいる人間は、「前例のないことをして苦情が出たら、誰が責任を取るのか」という思考回路に陥りがちです。なぜそうなるかというと、大組織ではミスや失敗が発生すると「~市役所」「~部」の不祥事というように、連帯責任制が取られるからです。 小さな組織ではミスや問題が起きても個人の責任で終わりますが、大組織ではそうはいきません。それが、「ミス回避バイアス」、「責任回避バイアス」となり、杓子定規な判断しか下さない「前例主義」になるのです。 こういう構造ができてしまうと、誰かが新しい提案をしても「おまえはそんなことをして責任が取れるのか」と上司や同僚から言われ、フリーズしてしまう。新しいアイデアや方法が必ず成功する保障なんて、当然どこにもないのに。組織にアイデアマンがいても潰す、歩みを止める力学が働く。 これは、政治の場でも企業の場でも、組織に共通する問題ではないでしょうか。毛布の配布以外にも同じような例があり、家電量販店が家電を被災地に送る支援をしようとしたところ、結局、「前例がない」ということで実行されないということもありました。 -----------(途中削除)---------------------- 心理学では伝統的に統計を取ることを重視しています。しかし、統計を用いなくても知見は見いだすことはできるのではないか、という疑問が心理学の博士課程に在籍している際に浮かんだのです。 すると、統計を使わない研究とは科学的なのかどうか、という問いにぶつかりました。さらに突きつめていくと、「科学とは何か」「良い研究、悪い研究とは何か」というような本質的、原理的な思考に下りていったのです。そして「構造構成主義」という理論を作るに至りました。 ここで構造構成主義で言う「方法の原理」で、毛布配布の問題を考えてみましょう。 ここでは、プロジェクトの有効性は①状況、②目的の2つから規定されることになります。先ほどの毛布を配布するという事例でいくと、役所の人の状況は「目の前で凍えている被災者がいる」、そして目的は「市民を幸せにする」ということです。そうすると、おのずと「配布する」という結論が導き出されます。 ここで、毛布の配布に反対しようとする人は「配らないことの正しさ」を証明しなければいけない。これはかなり、難しいでしょう。この議論の方法が多くの人にインストールされれば、「ものすごく不合理なこと」はまかり通らなくなります。 原発の是非に関する議論についても同じことが言えます。「原発事故によって故郷に住めなくなった人がいる」「事故へのリスクもなくなったわけではない」という中で、原発推進派は原発があったほうが人々が幸せになるということを論証しなければならない。しかし、推進派の人々は経済的な観点からしか話をしていない。 方法の原理でいくと、より上位のものは何かというと憲法です。ここから考えると、原発の推進は幸福追求権や住居選択の自由といった憲法に違反しているのだから、ダメだということになります。 しかし現在は、「経済成長」や「電気の供給」という各論と、憲法にうたわれている、国を率いるリーダーが絶対的に追究しなければならない「国民の幸せ」が同じ天秤にかけられて議論されてしまっているのです。 さらに解決策を探るには、双方の「関心」に着目する必要があります。原発の反対派は「リスクから身を守る」ということ、推進派は「経済の発展」に関心があります。 この際に「背景にどういう関心があるから、そう考えるのだろうか」という問いを立てることができます。すると、経済をまわしながら原発を止めることはできないのか、という議論を始めることができます。 例えば、原発の横に火力発電所を建てれば、従来の送電線を利用しながら雇用も創出できる。双方の関心を満たす方法がおのずと見えてくるのです。
■「トップダウン型」も「多数決型」も採らない
例えば、支援者の情報交換ツールであったフェイスブック上に「トラブルをなくすための7カ条」を掲載。心理学の見地から「質問は気軽に、批判は慎重に」と提言。仕事量の違いなどで対立する支援者たちに、「被災者支援を目的としている人は味方です」として、復興を支援するという「目的」を共通化しているのだから、認め合い支え合おうと呼びかけた。
まずトップダウン型はリーダーが間違ったらおしまいです。リーダーがどこかで間違う可能性は高いし、よいアイデアを誰かが思いついたとしても、なかなか採用されません。多数決型でも新しい考え方が採用されないというデメリットがあります。新しい考え方をする人は少数派ですから。さらに、多数決で51:49になったとする。すると、半分の人は納得できないままやらされることになる。 この方法のメリットは、みんなが自分の頭で考えて提案するようになることです。参加感があるので、モチベーションも上がります。反対派の人も、採用された案に勝る代案を出せなかったのだから、ということで納得します。 ■ドラッカーですら部分的にしか語っていない 例えば、家電を被災地に送るプロジェクトでは量販店からの調達を計画する私に対して「被災地の店から調達すべき」という批判が起こりました。 しかし、「目的」はあくまでも「多数の被災者を支援すること」です。そのため、割高な被災地の店舗から調達するのは正しい方法ではないと判断しました。批判者に対しても「代案を出せなかったので」と断りを入れました。 ――ビジネスの世界でリーダーが注意すべきことは? まずは、特に経営の分野では原理原則まで下りて考えてこなかった、ということを認識する必要があります。 経営の根本的な問題を提起してきたとされるドラッカーでさえ、その問題提起は領域が限定されています。「組織とは何か」を考えたけれども「価値とは何か」については部分的にしか語っておらず、「方法とは何か」については言及していません。 リーダーは何よりも、あたり前のやり方に沿った方法をとることが大切です。生物の大原則は「生きたい」という願望があるということです。批判されたり、罵倒されたりすると死にたくなるし、モチベーションも上がらない。大事なのは、褒めることです。 私は「抱えてから揺さぶる」ということを提唱しています。批判するときも、まずは「いつもありがとう」「いつもお世話になっています」と抱える、つまり前置きをするのです。そのうえで、「これについては、もう少しこうしたほうがいいのではないか」と揺さぶるわけです。そうすると批判に対する耳の傾け方は、大きく変わります。 忙しくて切羽詰まっていると実行できないときもあるのですが、いい組織はお互いの価値を認める組織です。否定し合う組織は消耗してしまいます。 その人の関心がないところに放り込むことも、モチベーションを低下させます。日本の企業では、どこの部署に行きたいんだと希望を聞いておきながら、その結果とは違う場所に配置するということが往々にしてありますよね。そうすると、働く動機づけができないので、嫌々やる、次の異動までの我慢だと思いしぶしぶやる、という結果になってしまいます。 自分の方向性と重なっていないことをやると、人間は消耗します。こういった基本原則に沿う当たり前のことをやっていない組織が多すぎます。原理原則から外れると、水を汲み上げるためにポンプが必要になる。つまり、高い給与やボーナスなどがないと、モチベーションの上昇につながりません。 すでに医療の分野では「構造構成主義」の論文が200本以上書かれており、多くの場で実践されています。医療の現場では、患者の治療をめぐって医師、看護師、薬剤師、理学療法士などさまざまな立場から信念対立が発生しやすい。方法の原理の「目的」が「患者の命を救うこと」ですから、意見の対立という問題を無視できないのです。
経営の世界でも、誰も悪くないのに意見が対立することがあります。そんなときにぶつかり合ってパワーを消耗しないための術を、誰もが身につける必要があると思います。
まぁ~長文だし、当ブログ読者で興味のある人は少ないだろう内容なんだけれども、 「おかしい」と感じてスタートした内容なのに、 採ったのは第3の道、真っとうな質を問う議論の方法です。まず、「おかしいと思う」とか「間違っているのでは」といった批判は受け付けません。代案を出していないからです。あくまでも「方法の原理」に従って、「この状況を考えたらこの目的はこうだから、こうした方がよい」という提案をしてもらう。
「おかしい」と感じて、一体なぜ「おかしい」と感じるのか?・・・・・
ワタシは当ブログで1度か2度この「おかしい」について書いた事が
人間は何度も復習して経験を積む中で、アタマの思考回路が
だから『何なのかは判らないが「おかしい」と感じれば、その事柄からは離れろ』
なのでワタシは「おかしい」と感じて、一体なぜ「おかしい」と感じるのか?・・・・・
「おかしい」と感じるのが得意な人もいれば、
彼(西條剛央 氏)の手法は、上記記事のような 国は国民の忘却によって成り立っている。 それを突き詰めて行けば国の根幹に抵触し、国を滅ぼすでしょう。
なので、彼の手法・・・「方法の原理」も要は、
彼の言っている事は、上から目線の小手先手法です。
ワタシは「ボランティア」という言葉が大嫌いです。
例えば「ボランティア」さえ無ければ、職にありつける、
しかもそれを組織化するって、一種、殺し屋を組織化していると言っても 「偽善」とは、そういうものです。
「ドラッカー」を引っ張り出すのであれば、
本来「ボランティア」というものは、国が手の回らない処に 調子の良い処だけ「無償」と「偽善」に覆われているのは胸糞悪い。 PR |
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