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2012 02,11 12:00 |
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『百椿図(ひゃくちんず)』 【季節の言葉78】 "One Hundred Camellias : Blossoms Heralded in Literature"
東京・青山表参道の根津美術館では、
江戸時代はじめ、空前の椿園芸ブームが起こりました。
本展では、「百椿図」2巻、計約24メートルを可能な限り広げて展示、
根津美術館・展覧会のHP
遠くから散る姿を愛でるのが「櫻」なら、 古(いにしえ)から現在に至るまで、日本人の精神を支えてきたこの花。
太古より北海道を除く日本全国に自生していた「椿」は、
その様子が『古事記』『日本書紀』にあり、遣唐使が唐への献上品として 『万葉集』には、
巨勢(こせ)山の つらつら椿 ──と詠まれ、艶やかな葉と花が万葉人に愛されていた様子がうかがえます。 その後、平安時代には宮廷や貴族の間で珍重されます。
遡(さかのぼ)れば、その樹齢の長さから、正月初卯の卯杖(うづえ)となり、
「椿」を身近に楽しむ花として珍重し始めたのが室町時代です。
江戸時代に入ると、徳川二代将軍秀忠が全国から美しい椿を集め、
寛永年間には、
ワタシは何時ぞや・・・・・相当昔に成るのですが、
本図『百椿図(ひゃくちんず)』は、
100種類余の園芸品種の椿が68図に分けられ、色々な階層の人たちが、
また、皇族・公家・僧侶・儒者・文人など49名から52首の和歌・俳譜・漢詩が 水戸光圀公の譜、
きみもいさ はやゆきてみよ こせやまの
──は、上記の万葉集「巨勢(こせ)山の つらつら椿・・・・・」
きみもいさ はやゆきてみよ こせやまの
いさはやといふ
讃は水戸藩主徳川光圀公。
おし 花は又 たくひありとも 玉椿 画讃は萬殊院良尚法親王。椿の名称「おし」。
不動 画讃は幕府儒官 人見竹洞。椿の名称「不動」。
題百萬椿 画讃は大徳寺天室宗竺和尚。椿の名称「百万椿」。
シャネルのコサージュに象られているカメリアは、
これに対し、日本人は今なお、原種に近い一重咲の表情と葉を慈しむ感性を
今では椿愛好家の輪はすっかり世界に広がり、 「椿」は、日本を代表する世界に冠たる花木です。 PR |
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