2024 11,23 17:27 |
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2011 06,25 12:00 |
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【首相日誌】6月25日 いやはや、ご立派である。菅直人首相は、きのうの閣議後、全閣僚に「国会の会期が70日間延長された。自分も燃え尽きるまで全力でやりたい」と檄(げき)を飛ばしたそうな。嫌われても蔑まれても闘志を燃やす首相の爪の垢(あか)を煎じていまどきの草食男子に飲ませてやりたい。 ▼首相を取り巻く環境はいよいよ厳しく、大幅な内閣改造は、できなそうだ。新設の復興相ポストは現職大臣の横滑りにとどまり、強力内閣にほど遠い。ご執心の再生エネルギー特措法案も暗雲が漂っているが、それでも意気軒高だとか。 ▼「菅さんの権力に対する執着心が、自身の再生エネルギーになっている」と渡辺喜美・みんなの党代表はうまいことを言うが、それほどまでに延命したいのなら抄子が知恵をお貸ししよう。霊験あらたかで効果抜群の妙案を。 ▼最近の歴代首相は、さきの大戦で亡くなった人々を悼むため6月23日の沖縄を皮切りに広島、長崎を巡り、8月15日の全国戦没者追悼式に参列するのが常である。これに靖国神社参拝を加えればいいだけの話である。 ▼国のために命を捧(ささ)げた兵士の霊に首相が頭(こうべ)を垂れるのは、どの国でも当たり前の話である。毎年参拝した小泉純一郎首相が5年の長期政権を全うし、参拝しなかった首相が、いずれも短命に終わっているのは偶然ではない。ひとたび首相が参拝すれば、支持率はアップし、政権延命は間違いない。 ▼アジアの国々の反応も気にする必要はない。首相が参拝していない今でも、中国は宮城沖の排他的経済水域に無断で調査船を派遣しているし、韓国は日本がいやがるのを承知で竹島に何人もの大臣が上陸している。いつまでも彼らのペテンに引っかかっていてはいけない。 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
本音を言うと、今更「菅直人」なんて人物に対して ・・・っていうか、「菅直人」という人物は、『日本国』に対して 『日本国』を表す言霊・・・雅名にはいくつかありますが、 「豊葦原(とよあしはら)」 ・・・と、まだまだ美しい言葉で綴られる『日本国』を表す言霊があるのですが・・・・ 国を大切に思う・・・っていう事が、これほど悪し様に罵られる国って そう考えると、どう考えても「菅直人」は、日本人とは考え難い。。。
言葉の「狭義」の意味では「純日本人」というのは存在しないと思います。 列島が地形学的に形成されてからこのかた、 ただ・・・日本という国の特殊性は地理的なものに負うものが大きく、 気候の温暖なこと、四季があること。 水に恵まれ、土地は肥え、耕せば作物は実り、川と海には魚介と海藻。 気候温順だからこそ、自然と闘うという発想ではなく 他者と争わずとも食べていける状況は、 戦わなくては食えぬ、水さえ闘いの果てに手に入れねばならぬ、 日本という水も土も潤沢な地域に集った人々は、四方を潮の要塞に護られながら、 家族としての単一性は、他者を受け入れるに寛容でもあれば、 結論を駆け足で述べますが、排他性には功罪が伴います。 反面、貪欲に他者の文化圏にまで侵蝕してゆく逞しさに欠ける。 排他性も頑(かたく)なではない、必要とあらばいつしか我が懐に取り込み 朝鮮半島や中国大陸からの渡来人は、しかしながら異種ではありましたが 「日本家族」内における家長としての天皇もまた自然発生に近いものでは 自然と不即不離で生きてきた民族は、天照大御神(太陽)という自然神の 絆の結び目としての天皇。 日の丸も国歌もこれに準じます。ひれ伏す必要はないが、 強制と取るのは幼く浅慮です。契約(約束事)のない国家は存在しません、 その幼き浅慮を持ち、1度も社会経験を積まない人間が ちなみに国家否定論、国境不要論があることは理解しています。 更に余談に走りますが、天皇という存在はアマテラスの(精神的)血脈で これらの構図を神聖なるフィクションとして捉えるか、 とまれ、かくのごとき構造も、じわじわと壊されて行きつつあるのが現状です。 脱線しすぎたので、主題を元に戻します。 西洋への排他性は、また別次元でそれは単に海の要塞が ただし、少数の場合はです。他人の来訪も数を増せば無邪気に客人として 現在、多くの日本人が中国や韓国他からの侵入を嫌うのは、 家族としての家風と家訓を身につけぬまま、しかるべき挨拶もなしに 嘘をついてまで身を守る必要のなかった温和な国ゆえ、虚偽や奸計を厭います。 現在、単一民族としての私たちが著しい抵抗感と嫌悪感を中韓に抱くのは、 罪穢れという神道に基づく清潔感を本来の日本人は有します。 戦後吉田茂が本国へ大量送還することをGHQに願い出たのは 私たちの危機感は、現在おそらく二種類で、 文化も倫理観も、おそらく大方の日本人が漠然とながら感じているように、 自然との共存、無益な殺生は慎む、和をもって尊しとなす。 今どき声高に叫ばれるエコなど日本人が本来は先駆者で、 主語が曖昧なというより敢えて消し去る文脈をその思考の根底に持つ。 自然とも相身互いでいたわり合い敬うのが日本人であります。 使った包丁さえ縫い針さえ、飾った人形さえ供養する日本人には、 本来の「日本人」というモノを思い出してきましたか! みなさん♪ 黒白(こくびゃく)を明確につける思想は反自然でもあれば未熟でもあります。 俳句に見られる極端な短詩には余白があり、余白は宇宙につながります。 ちぢみ文化というごときことが言われたことがありますが誤解です。 障子という単なる紙で外界との隔てとした日本人は 身を縮めて大を知る民族。 抑えた色目に華やぎが潜む、洗練されつくした美意識をも持ちます。 墨絵から色とりどりの色彩を彷彿させる感性も。 あと一歩踏み込めば下品になるぎりぎりの臨界点で、くっと抑えて品格。 一筆、墨で丸を描けば、そこに境地と宇宙がある。 私たちは、分厚いバイブルもコーランも必要とはしません。 あれをしてはならぬ・・・これは食するな・・・・・ 一歩踏み出したときに眼に入る自然の全てが経典です。 武道においてすら相手を殺傷することが本分ではないのだという 日本人であるということは、国籍を有しているという物理的な要件の他に、 多文化共生という美名のもとの侵略行為への 札束持って押し寄せる輩に、心まで売り渡してはなりません。 単一民族としての旗印は精神性(やまとごころ)です。 精神性を他者に押し付けることはしません。 しかしながら我こそは唯一の価値であり、お前たちは一段劣れる民族なのだと 私たちは改めて日本人としての自覚を持ち、日本人であることを改めて選択する、 PR |
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