2024 11,23 08:28 |
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2010 05,23 10:00 |
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「いまでも日本の首都は京都です」 「いまでも日本の首都は京都です」と、生粋の京都人である文化人類学者の梅棹忠夫さんは言う。明治維新になって、天皇が「ちょっといってくる。すぐかえるからね」といった風情で江戸へ行幸されたまま、かえってこられなかっただけだと。 ▼確かに、明治政府は遷都の公式発表を行わなかった。1868(明治元)年、明治天皇が行幸に先立ち最初に出した詔書も、あくまで「東京奠都(てんと)の詔(みことのり)」である。天皇が政務に当たることを宣言し、江戸を西の京(京都)にたいする東の都(東京)と定めた。 ▼政府は、遷都反対論者や京都人の反発を恐れながらも、この詔書をきっかけに、「首都東京」誕生への動きを加速させる。そんな重要な文書の作成過程を示す史料が、広島県内の美術館で見つかった。 ▼公家や藩主だけでなく、藩士クラスの者にまで、意見を求める文書が回覧されていた。旧弊を打破して、新しい政治を行うために、政府内で侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が、身分の差を超えて行われていたようだ。 ▼きょう施行される国民投票法は、憲法改正の手続きを定めたものだ。明治維新における東京遷都に匹敵するほどの大きなテーマだというのに、参院では、憲法改正原案を審議する憲法審査会の規程さえできていない。衆院は規程はあるものの、委員が選ばれていない。国民投票法が、18歳以上に投票権を認めたのにあわせて、20歳を成年とする民法を改正するめども立っていない。 ▼憲法改正を論議する場の整備が進まないのは、民主党にまったくやる気がないからだ。鳩山由紀夫首相は、所信表明演説で政権交代を明治維新になぞらえた。五箇条の御誓文にある「万機公論に決すべし」の精神を忘れた民主党に、そんな資格があるのか。 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
もし京都が東京のようなコンクリート・ジャングルになっていたら・・・ そして、単なるバカな素人集団である「政治屋」が京都の街を闊歩する・・・ 増して「祇園」なんかで偉そうにSPでも屯(たむろ)っていたら・・・ 建設関係等、仕事に直結している人たちは別にして、 政治屋が知り合い・・・って、「チカラの保持・虚栄」なんですかねぇ~・・・・・ なのでワタシは極力、政治屋とは距離を置くことにしているんです。 PR |
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コメント |
敢て言います。
ちまちま(赤松では無いですが)ブログでああだこうだとおっしゃっていないで、あなた様に政治家になっていただきたい。 どうなるんですか、我が祖国。 推挙して頂き、心より御礼申し上げます。
推挙して頂き、心より御礼申し上げます。
人には「分(ぶ・ぶん)」というものがあり、残念ながら、色々な意味でワタシには難しい内容です。ワタシの「分(ぶ・ぶん)」というものは、ちまちまとブログでああだこうだと言うこと・・・その程度のレベルだと思って下さいませ。推挙して頂き、心より御礼申し上げます・・・が、誠に申し訳ございませんが固辞させて頂きますね。 |
お返事を頂き、恐縮しています。
ちまちまという汚い言葉を使い、不愉快に思われたことでしょう。貴方様のブログに出会ってから、様々考えさせられること、大です。 政治屋、大手マスゴミの連中に読ませてやりたいです。 どうか、体調に留意され、一日でも長くブログを続けてくださいませ。 可愛い表現
「ちまちま」って言葉を気に掛けているのですか?
大丈夫ですよ。ワタシは全く気にしていません。 ・・・っていうか、どちらかと言うと可愛い表現だなぁ~・・・ ・・・なんて思っていましたので・・・・・ 何か、幼い子が一生懸命小さなものを作っているイメージってないですか?! これからも頑張りますので、どうかこれからも宜しくお願いいたしますネ。 |
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