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2010 03,17 09:00 |
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調査報告書が暴いたリーマン破綻の内実 2008年9月15日という日付は、金融業界の記憶にしっかり刻み込まれている。米リーマン・ブラザーズが破綻したこの日、過去数十年間で最も深刻な金融危機は転換点を迎え、資本市場がパニックし、国際貿易が事実上凍りついたからだ。 同社が世界的な有力投資銀行の座に登りつめ、そこからあっという間に滑り落ち、大変な被害をもたらす米国史上最大の企業倒産劇へと至った過程を活写した書籍や雑誌記事は、既に数多く発表されている。 しかし、このたび公表された報告書はシカゴを本拠地とする弁護士がこの倒産劇を徹底的に調査し、1年かけてまとめたもので、リーマンを悲惨な運命に追いやった経営陣の失敗、破壊的な企業文化、向こう見ずなリスクの取り方などを白日の下にさらす内容になっている。 2200ページに及ぶ報告書をまとめたのは、リーマン破綻の責任が誰にあるかを調査するよう連邦裁判所から依頼を受けたアントン・バルカス氏。 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
だが、報告書はそれだけでなく、ウォール街内部の実情、少なくともウォール街の一部が好景気の頃に手を染めた利益のかさ上げと損失の隠蔽の内実も容赦なく暴いている。 これによれば、リーマンは、資産を簿外に移すための「レポ」取引を最後まで続けたウォール街の金融機関の1つだった。ただ、その取引に応じて(気づかなかったとはいえ)同社の不正確な決算報告に手を貸した金融機関が米国や欧州にあったという事実は、金融業界に関心を持つ多くの人をがっかりさせることになるだろう。 たとえ今、金融危機前に行われていた特にひどい慣行の一掃を目指す改革が進められている最中であるとしても、だ。 ウォール街の金融機関のある上級幹部は12日、次のように語った。「報告書を読んでいたら気分が悪くなり、もどしそうになった。この業界には、もううんざりした」 バルカス氏が描くリーマンは、攻撃的だが部下を鼓舞する力を持つファルド氏の下で躍進した、業界の伝説にもなっていた新興企業ではない。 9巻に及ぶ報告書から浮かび上がってくるのは、利益を増やすためには手っ取り早い方法を取るし、巨大なリスクも取る用意ができている組織、また、そうした分野での内部統制や会計処理のルールがほとんど整備されていない組織の姿だ。 バルカス氏は、158年続いたリーマンの歴史においても特に輝かしい瞬間だった2008年1月29日の描写からスタートする。2007年の利益が過去最高の40億ドルに達したことを明らかにした決算発表の日である。 「リーマンが破綻した理由は数多くあり、その責任は複数の関係者が負うものだ」。バルカス氏はこう指摘し、次のようにつけ加えている。「(状況が)これほどひどくなったのはリーマンの経営幹部のせいである。彼らは、深刻だが責めることのできない判断ミスを犯す一方で、バランスシートの不正操作という訴訟になってもおかしくない行為にも手を染めていた」 そして、様々な試算によって時期はずれるものの、リーマンとその関連会社の一部が連邦破産法第11条(チャプターイレブン)の適用を申請した2008年9月以前の数カ月間のどこかで既に破綻状態にあったと結論づけている。 この報告書は、バルカス氏が入手した文書3500億ページのうち3400万ページを分析した結果に基づいているが、その最大のヤマ場は、リスクを取ることに対する同社の飽くなき欲望と、発生した損失の規模を隠そうとした様子を描いた部分である。
バルカス氏によれば、リーマンの経営幹部は2006年末、同社が取るリスクの上限を引き上げるという決定を下した。言い換えればこれは、証券のトレーディングや投資活動でここまでは損を出してもいいという枠を広げる決定だった。 ちょうどその頃、リーマンは不動産投資事業への取り組みを強める方向に動いていた。米国の住宅ローン市場は既に内部崩壊を始めていたが、同社は会社全体のリスク許容量の上限を、翌年のうちに3倍に引き上げるつもりだったのだ。 バルカス氏の報告書によれば、当時のCRO(最高リスク責任者)、マデリン・アントニック氏は、許容リスクの上限を23億ドルから33億ドルに引き上げるという案に抵抗したが、ほかの幹部たちに押し切られた。2007年末には、この上限は40億ドルに達していたという。 この報告書はまた、同社のリスク管理がどれほど不十分なものになっていったか、そしてそれが同社の崩壊にどのように寄与したかを厳しい調子で綴っている。 例えば、同社はウォール街のほかの金融機関と同様に、トレーディングのポジションと投資資産についてストレステストの実施を義務づけられていた。ところが不動産へのプリンシパルインベストメント(自己資金投資)、プライベートエクイティ(非上場株式)投資、レバレッジドローンで資金を借り入れたバイアウト(企業買収)投資など、最もリスクの高い資産を計算から除いてストレステストを行っていた。 アークストーン・スミスという不動産投資信託(REIT)のバイアウト取引に当たって2007年5月に実行したつなぎ融資23億ドルも、同社が抱えているリスクの計算では考慮されなかった。 こうしたことから同社は、資本市場の大きな変動、さらには、同社が投資先としていた流動性のない資産の市場の変動に対し自分たちがどれほど脆弱であるのか、正確に把握していなかったことになる。 この点は同社にとって極めて重要な問題だった。何しろ同社の自己資本は250億ドルに過ぎず、バランスシートのクッションはゴールドマン・サックスなどのライバルに比べてはるかに薄いものだったからだ。
2008年3月にベアー・スターンズが破綻の瀬戸際に陥ると、リーマンは流動性のない資産を市場で売却できないことに気づかされた。調査報告書によれば、格付け機関と投資家がリーマンにバランスシート削減を迫る中、同社は2001年から頼ってきた「会計操作」の利用を一気に増やしたという。 社内で「レポ105」として知られる仕組み――これが外部に公開されることはなかった――のおかげで、リーマンは四半期決算を乗り切るまでの期末の数日間だけ、最大500億ドルの資産を簿外に移すことができた。 これでリーマンはレバレッジ比率(バランスシート上の債務負担の大きさを示す割合)を下げられ、格下げを回避し、財務内容を実態より健全に見せることができた。 「調査官はリーマンが行ったレポ105取引を調査し、バランスシートの操作が見かけを取り繕うための意図的な行為であり、これがリーマンのネットのレバレッジ比率に重大な影響を与え、さらに、リーマンがこれらの取引の会計処理を公開しなかったために、同社の(決算報告書)を人を騙すようなミスリーディングなものにしたとの結論に達した」と報告書は指摘している。 報告書によれば、こうした取引は極めて異例だったために、リーマンはこの取引に法的見解を与えてくれる米国の法律事務所を見つけられず、英国に本社を置くリンクレイターズを使ったという。 リンクレイターズは3月12日、「(会社の見解に対する)批判を裏づけるような事実、状況は何も認識していない」とコメントした。 リーマンのレポ105取引に応じた多くの金融機関も、この取引に疑問を差し挟むこともなければ、自分たちが通常のレポ取引より有利な条件を与えられているという事実を疑いもしなかったようだ。
ほかの企業不祥事と同様、社内の電子メールのやり取りからは、リーマンの社員がこの取引をどう見ていたかがよく分かる。2008年2月のメールで、ある上級トレーダーは同僚にこう言っている。「今、切迫した事情があるから、レポ105か資産売却で、君のところから追加で20億ドル(のバランスシート削減)を捻出してくれ」 それから数カ月後、同じトレーダーは同僚に対して、「君のところのレポ105を最大限増やせ」と迫っている。 一握りの幹部は、疑念も抱いていた。レポ105について心配していたリーマン幹部のバート・マクデイド氏は、これを「麻薬」と呼んでいた。別の幹部はトレーダーたちに、レポ105から「手を引け」と命じていた。中には、この取引を隠蔽するリスクを指摘し、「真相を知っている人が多ければ多いほど、危険になっていく恐れがある」と警告していた人もいた。 ■□━━━━・・・・・‥‥‥……………………………… 概略の「簿外取引による会計操作」は当初から言われており、 ただ、そんな事はどうでもよくて、重要なのはCDS関係や、 多分・・・いずれ時期が来たら・・・米国だけでなく、色々な国で それは判りませんが、現在の処、何事も無かった事にして 多分、それは今年や来年ではなく、早くて再来年2012年秋からでしょうねぇ~ PR |
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