2024 11,23 14:18 |
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2010 02,28 17:00 |
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まぁ~とりあえず観て戴きたい。。。 Money As Debt(日本語字幕版) 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
『アメリカの実業界において 超大物の何人かの人々はある事を恐れている 『いつのあらゆる時代でも 銀行はローンを作っている 『銀行がお金をつくるプロセスは 心が拒否してしまうほど 『通貨の発行と管理を私に任せてくれ 私たちの生活を支配している二つの大いなる神秘がある。 「愛とは何か」という疑問は 物語や本、歌、映画、テレビなどによって 際限なく探求されてきた。 お金の仕組みを あらゆる超大作映画が教えてくれないことは驚くことではないが、皆が通ってきた学校においてでさえ、ほとんど教えられることはない。 私たちが「お金はどこからやってくるの?」と疑問を持つ時、造幣局が紙幣を印刷したり貨幣を刻印している様子が心に浮かぶ。 私たちはお金が政府によって作られていると信じている 私たちがお金として考えている紙幣や貨幣は、造幣局という連邦政府機関によって生産されている。しかし大半の莫大なお金は 造幣局によって作られているのではない。それは銀行と呼ばれる民間の会社で、毎日とてつもない金額が創造されているのだ。 私たちのほとんどは 預金者によって預けられたお金を、銀行は貸し出していると信じている。 ローンの書類への借り手の署名は 銀行に対し、ローン金額と利息を支払う義務を負う。返済できなければ 家や車などの資産を失う誓約をさせられるのだ。それは借り手が果たさねばならない大きな約束である。 同じ署名が銀行にも必要とされているだろうか? それって絶対おかしくないか?でも それは事実なのだ! この近代の銀行の奇跡を説明するために、ちょっとした昔話をしましょう。ゴールドスミス(金細工師)の物語です。 過去さまざまな時代に、いろんな物がお金として使われてきました。それは持ち運びできるものでなければならなかったし、後になっても衣食住に関わるものに代えることが出来る、人が「十分に価値がある」と認めるものでなければなりませんでした。貝 ココビーンズ きれいな石 羽根でさえお金として使われました。金と銀はとても柔らかく 簡単に加工できるものとして魅力的で地域の人々の中から金属の専門家が誕生しました。 ゴールドスミスはコインを鋳造することによって取引を簡単にできるようにしました。このコインは標準化された単位として、重さと純度が保証されました。そのお金を守るために ゴールドスミスは金庫を必要としました。やがて町の仲間がやってきて、彼らのコインや貴重品を守るための場所を貸してくれるように頼むようになります。 しばらくして ゴールドスミスは 金庫の中を棚ごとに貸し出し金庫貸しとして ちょっとした収入も得るようになりました。何年か過ぎ ゴールドスミスは ずる賢い観察をしました。預金者は彼らの金を実際に動かすことはめったにない。そして 彼らがまとめて一度に金を取りに来ることもない。そこで ゴールドスミスは 金の預り証に決済機能を与え それがあたかもお金そのものであるかのように街に流通してゆきました。 この紙のお金は重いコインよりとても便利で、支払の時いちいちお金を数える代わりに、金額をただ書き入れるだけでいいのです。 彼の便利な紙のお金が受け入れられることによって、借り手は金属に代わって紙のお金でローンを頼むようになりました。産業が拡大するにつれて さらに多くの人々がゴールドスミスにローンを頼むようになりました。 こうしてゴールドスミスは、もはや金細工職人でも、金庫の貸し手でもなく、とても大きな利益を生む銀行家という存在になりました 何年か、ゴールドスミスは密かにすべての預金者の金を元手にして 金利の良い収入を得ていました。今やゴールドスミスは傑出した銀行家となり 同じ街の仲間よりも裕福になって誇らしげにそれを誇示しました。 これが銀行業の始まりとなりました。銀行家は低い利息を預金者に払い、それから高い利子をつけ借り手に貸し出しました。その差額が銀行の利益と営業経費をカバーしました。この論理は簡単で 信用貸しの要求を満足させる理にかなった方法のように思われました。 わが銀行家ゴールドスミスは 預金者に分け与えられた金利の後に残った収入だけでは満足しませんでした。この時代 銀行家に対する需要は世界的に拡大しヨーロッパでは急成長を遂げました。しかしながら彼のローンは、金庫にある預金者の預金量に制限されていました。そこで 彼は大胆なアイデアを思いつきました。彼の金庫にある中身のことは、彼以外誰も知らない。金がなくても紙幣を貸し出すことができるのではないか?紙幣の持ち主が同時に金の返還を要求することはない。誰も気づく者はいないだろう。 この新しい計画はとてもうまくいきました。そして銀行家は、実際にはありもしない金の金利によって莫大な富を築くことになったのです。 やがて銀行のローンの大きさと、彼の仰々しい富がまた嫌疑を起こさせるきっかけとなりました。何人かの借り手が紙の預り証を持ってきて本物の金を要求し始めました。噂は広がって 突然お金持ちの何人かが彼らの金を引き出すために現れました。 たくさんの紙幣の持ち主が、閉じられた銀行のドアの前に群がりました。銀行は 彼らの持ってきた全ての紙幣に見合う十分な金銀を持ち合わせてはいませんでした。 お金を何もないところから創るには法律を使うのが一番簡単な方法でした。銀行家が提供する大量のお金がヨーロッパの産業拡大には不可欠なものとなっていたのです。こうしてお金を創る方法が法律化され、規制化されました。銀行家は 無から創り出すお金の量の規制に合意したのです。その限界は 金庫にある金銀の実際の量より、何倍も大きなものであり続けました。その通常の割合というのは 実際の金が1の量に対し虚構のお金は9だったのです。このような規制が 政府の抜き打ち検査によって実施されました。 中央銀行は地方銀行を金の緊急注入をもって支え、それがまた取り付け騒ぎの際に調整として使われました。一度にたくさんの取り付けが起きない限り、銀行の信用貸しはバブルがはじけたり システムダウンすることもなくなりました
過去においては 紙幣のドルは金銀に交換できる兌換券でした。現在では 紙幣あるいは銀行口座の数字であるドルは 単に他の紙幣および数字のドルに交換できるものでしかありません。 そこで質問です 過去には お金の総量は実際にある金属の総量に限られていました。たとえば地下の洞窟から新しい金・銀が見つかった場合、それに見合うお金が作り出されていたわけです。現在では文字通り、お金は借金として創り出されています。新しいお金は誰かが銀行からお金を借りると創られるのです。結果としてお金の総額は、人々が借りられる限界の総借金額となります。 アメリカの総負債 政府は、新しいお金の創造に、準備預金制度として知られるルールを強制することによって、法的限度を設けました。基本的に預金準備率は任意で、国ごとに、そして時々変化します。 過去においては 銀行は少なくとも金庫の中の実際の金1ドルの価値に対して10ドルのお金を創造できるのが普通でした。今日、預金準備率は金の保有量に限定されず、新しく信用創造される金額は銀行が保有する資産によります。今日銀行は2つのものから成る資産を持っています。政府の発行した現金と銀行が中央銀行に預けているお金プラス銀行が持っている口座預金の総額です。 想像してください 新しい銀行がスタートしました ===ステップ1=== ドアが開き 新しい銀行は最初のローンのお客様を迎えます。彼は車を買うために1万ドルが必要です。 ===ステップ2=== それから車の売り手は、新しく創られた1万ドルを彼女の銀行口座に預金します。中央銀行に預金されたハイパワードマネーと違って この新しく創られたお金は準備率によって増やすことが出来ません。その代わりそれは その準備率によって分けられます。9:1の割合で 新しいローンの9000ドルが1万ドルの預金を元に創造されます。 ===ステップ3=== もしその9000ドルが その後 第3者によって同じ銀行に預金されたとしたら、同じ銀行がつくったものであれ、あるいは違う銀行のものであれ、それは3回目の信用創造の合法的な基礎になります。今回、信用創造できる金額は8100ドルです。 それが奇妙に思われるなら、これはどうでしょう 『誰もが潜在意識では 途絶えることのない造幣局の稼業にもかかわらず、政府が作るお金は循環しているお金の5%以下にすぎません。今日 95%以上のお金は 銀行に対する誰かのローンによってつくられているのです。なんのことはない この信用貸しのお金は、新しいローンが組まれるにつれて、また古いローンが償却されるにつれて毎日莫大な量がつくられたり 無くなったりしています。 『私が残念なのは 銀行は政府の積極的な協力があってはじめてマネーシステムを行使できます。最初に政府は 私たち国民に認可された国家通貨を使うよう法律を通します。次に政府は 民間銀行の信用貸しが、この政府の認めた国家通貨で支払われるよう許可します。3番目に政府議会、裁判所が債務を強制します。そして最後に、政府は市民と金融システム機能と信憑性を保護するための法規を可決します。その一方で 市民に「お金が本当はどこから来るか」については何も知らせません。 明快な真実は ローンあるいは抵当の書類にサインした時、その支払いは“罰則として資産を提供する”ことで裏づけされます。万が一支払えない場合 実際に価値ある資産が没収されます。その約束を守るというローン契約あるいは抵当が持ち運びでき、交換でき売却できる紙片となっているのです。それは借用証書です。それはお金という形をした、価値を表すものです。このお金は、借り手による銀行の“ローン”と呼ばれるものが形を変えたものです。今この世界において貸し手がローンを貸すためには、何か担保を持っていなければなりません。もしもあなたがハンマーを必要とするとき、私がハンマーをあげる約束をするだけでは、何の助けにもならないでしょう。しかし、お金というヴァーチャルな世界においては、持っていないお金を貸す約束をする銀行は許され、容認されているのです。 『私たちの国家通貨は、銀行の思いのままに操られている。 借り手が借金の誓約をしたら、銀行は借り手の負債をコンピュータにちょっと入力することで データ処理して帳尻を合わせます。借り手の立場から見れば これはローンのお金となります。何故なら政府がそうすることを認定していて誰もがそれをお金として受け入れなければならないからです。 繰り返しますが、基本的な事実は非常に単純なのです。 今 あなたは気がつきました。 そしてひっくり返せば そのまた反対の状況も真実です。 わたしたちは、周りにある信じられないほどの豊かな資源、技術革新、生産力にもかかわらず、政府、会社、個人、ほとんどが銀行に対し、大量の借金を負わされているのです。 『私たちの貨幣システムというのは もしこれがあなたにとってニュースなら、あなたは一人ではありません。ほとんどの人が想像できます。もし全ての借金が返済されたのなら経済は改善します。それは確かに個人的なレベルで真実です。私たちのローンの支払いが終わって、もっと使えるお金を誰もが持てたら、一般に使えるお金も多くなるはずです。しかし現実はまったく反対に、使えるお金が全然なくなるのです。私たち皆が使っているお金のかなりの部分は銀行の再信用貸付けに依存しています。ローンがなければお金がないのです。かつて起こった世界大恐慌のときには ローンの供給が干上がるにつれて 劇的にお金の供給がなくなったのです。 『これはよろめくような現実です。 そして そればかりではありません 銀行はただ元金だけを創造します。支払うための利息は創らないのです。 それなら利息はどこからくるのでしょう? 借り手が利息を支払うためにお金を得られる唯一の場所は、市場経済の中だけです。 ここで大問題なのは 長期ローンや政府の借金で利息の総額が元金を上回ってしまうことです。これは、利息を支払うための充分なお金が創られない限り、非常に高い確率で返済できない分の抵当を失うことを意味します。社会的な破綻を招かないためには、抵当権が実行される割合を低くすることが必要です。そして、これを成し遂げるためには、さらなる新しい借金が、以前の借金の利子を払うために創られなければなりません。 なぜ利息がそんなに低いのですか? 道理をわきまえた人は尋ねなければいけません。 これは実際 永遠に続くのですか? 『私たちの準備預金制度について、 お金は 商業生産を促進します。貨幣供給が増加するにつれて、生産と取引量が同じように成長しない限りお金の価値が下がって インフレになります。また、年3%の経済成長をしている時、私たちは経済が一定のレートで成長していると思っていますが それは違います。それは、今年の3%は昨年の3%より商品とサービスが増加していることを意味します。毎年新しく3%が積み重なるのです。グラフは直線的ではなく、徐々に急勾配を上昇する急激なカーブを描きます。 『これを実現するには、実物経済の永久的な成長が必要で 私たちはこのまぎれもなく恐ろしい状況に対して何かできるでしょうか? 4つ質問があります そこで最初の質問です 第2の大きな質問です 3番目に そして最後に たくさんの金利をローンにつけることは高利貸しと呼ばれ、かつては死刑を含む厳しい刑罰が課せられました。主要な宗教は みな高利貸しを禁止していました。習慣に関する議論の大部分は道徳的でした。 『論理と根拠を持って連邦政府が自分のお金を もしそれがシステムそのもの構造的な問題だとしたら、システムをヘタにいじくり回しても問題は解決しないできないでしょう 貨幣改革、選挙改革 選挙改革のような貨幣改革は、大きなトピックであり 変化への意欲と既存の概念にとらわれない考え方を必要とします。また貨幣改革は選挙改革のように簡単にはいきません。何故なら既得権益を守るために、彼らは懸命に阻止しようとするからです。お金はただのアイデアであり、現実のお金は何であれ、私たちも創ることが出来ることを見てきました。ここに熟慮すべきひとつのお金の簡単な代替案があります。このモデルは過去に英国やアメリカで機能してきたシステムに基づいています。銀行家ゴールドスミスたちと彼らの準備預金制度によって蝕まれ破壊されてきたシステムです。永続する金利のないお金を基礎にした経済をつくるために、お金は政府によってつくられ 使われなければなりません。経済を促進させる道路、鉄道、橋、港、市場のような社会インフラ整備に使われるのが好ましいでしょう。このお金は借金によって創られるものではなく、価値として創造されるものです。その価値は何であれ 費やされた後 形として残るものです。もしこのお金が 必要性に応じてつくられ 取引高に応じて容易に増減できるならば インフレなど決して起こりません。もし これによってインフレが起こったなら、二つの有効な方策があります。インフレはお金に関して 一律税の効果に等しいものです。お金の価値が20%落ちるのも 政府が私たちから20%の税金を取るのも 私たちの購買力に対する効果は同じです。このようにみれば 必要な費用をまかない 限度を超えない限り課税に代わるインフレーションも許容できるかもしれません。あるいは政府は 過剰なお金を税金として徴収しお金の供給を減らしてその価値を復元するというインフレ対策を行うこともできます。賃金や物価が下落するデフレをコントロールする場合は、政府は支出を増やし お金を供給を増やします。民間銀行間の貸出競争がなければ、政府は国家のマネーサプライを もっと効果的にコントロールできるでしょう。事態が悪くなったなら 大衆は誰が批難されるべきかもわかるでしょう。お金の価値を変動させず保つことは政府の責任となるでしょう。政府は 今おこなっているように 税金も補助的に徴収しますが、民間の銀行家たちに利息を払う必要はなくなります。連邦政府が必要なだけのお金を創るなら、国家に借金は存在しないでしょう。銀行が 財政赤字の利払いを通して、私たちを永久に隷属させることは不可能になるでしょう。 『お金は奴隷の新しい形です。 『自分は自由だと誤って信じている者は 奴隷以下である』 私たちが民主主義や自由として教えられ信じてきたことは、実際には巧妙で目に見えない形の経済的独裁でした。 『近代の銀行システムは何もないところからお金を創造します。 『植民地の無力な人たちが ジョージ三世の手から 今日 ほとんどの人が 気づいていないことがあります。1776年の革命以来、米国の歴史は大部分において欧州の国際銀行家による支配との自由を得るための闘争であったことを。この苦闘は結局1913年に忘れられました。ウッドロー・ウイルソン大統領が、連邦準備制度理事会条例にサインしたのです。アメリカのお金の創造の権利が国際銀行カルテルに引き渡されたのです。 『私はもっとも不幸な人間です このシステムの力は深く浸透してしまっていて、この件に関して 教育やマスコミは沈黙しています。何年か前カナダの首相が、路上で普通の常識を持った人々と高等教育を受けた専門職の人々 両方に調査しました。そして誰ひとりとしてお金がどのようにして創られるか、正確に理解していなかったのです。事実 銀行の第一線にいる従業員を含むほとんどの人が、この問題について考えたこともないのです。 『アメリカで起こる紛糾 貧苦 混乱のすべては 現代の借金によるマネーシステムは、300年ほど前に生まれました。イングランド銀行が王室から特許状を与えられ、2:1の穏やかな比率で金の受領書を発行した時です。このささやかな割合が悪夢の始まりだったのです。そのシステムは今世界中に及んで無限のお金を無から創造し、地球の誰もが永遠に決して払うことのできない膨張する借金で鎖につながられています。 これは偶然に起こったものでしょうか? 『私たちの国において、お金をコントロールする者が 『政府は消費者の購買力と政府の消費力を満足させるために 『通貨とクレジットの管理が政府に返還され そしてそれが 『ほぼ40年にわたって ワシントンポスト ニューヨークタイムズ 『唯一 小さな秘密は保護される必要がある PR |
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