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2009 08,16 10:43 |
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陰謀の代表にさせられているフリーメーソンの組織は日本にもある。 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
さる7月8日、オウムについてのあるシンポジウムにパネラーとして参加したときのこと。思想家・吉本隆明氏の、討議に先立つ特別講演を聴いていて、肩すかしを食わされたような気分を味わった。吉本氏は、かねてよりヨガの行者としての麻原彰晃を高く評価してきた。その「評価」が妥当かどうかは別にして、少なくともそうした、大勢におもねらない特異な視点をもつ氏が、陰謀史観に彩られたオウムの世界観については、ただ「バカらしい、くだらない」とあっさり片づけてしまったからだ。それですむのかなと、つい首をひねりたくなった。「ユダヤ=フリーメーソンが世界の征服を企んでいる」という、ナチスのプロパガンダそのままの陰謀史観は、確かに「バカらしい」。同感である。しかしいま重要なことは、オウムがその「バカらしい」歴史観、世界観に衝き動かされ(あるいは利用して)、サリンをバラまくまでに至った”事実”(吉本氏に言わせれば法的に未確定の容疑)を真正面から受けとめることだろう。
フリーメーソンとは、一体何者か。
1925年(大正14年)、横浜の貿易商の息子として生まれた片桐氏は、横浜高等商業学校(現・横浜国大経済学部)を卒業後、陸軍に入り、「特攻隊の生き残り」として終戦を迎えた。「しばらく闇市をうろうろとした」後に、外国船の乗組員となり、その後、東京オリンピックの開催された1964年に日本コカコーラに入社、5年後には役員に就任している。
「秘密の儀式」という「大人のお遊び」を楽しむ「社交クラブ」。片桐氏の話に耳と傾けていると、氏の語り口の穏やかさも手伝ってか、どこへ取材にきたのか、ふとわからなくなってくる。フリーメーソンリーは「秘密結社」のはずである。
クライプ まず最初に、私は世界中のフリーメーソンを代表して何かを言う権限も権威も持ち合わせていません。ですから、私がこれから述べることは、あくまでも私の個人的な意見だと理解してください。 フリーメーソンリーのグランド・ロッジ・マスターに就く人物とは、どんな人物なのか。クライプ氏のバイオグラフィーを訊いた--。 クライプ フリーメーソンリーに興味を持ち始めたのは、1972年頃、つまり将校になった頃です。つき合っていた人たちのなかで、素晴らしい人たち、楽しい人たちがフリーメーソンリーのメンバーだったということがわかったんです。それで関心がわき、1973年にフリーメーソンリーに入会しました。 --選挙で選ばれるんですか? クライプ はい、選挙です。しかし、大事なことなんですが、政治の選挙のようなことはありません。選挙運動をやってはいけないというルールがあるんです。「私に投票してください」とは言えないんです(笑)。
--あなたの宗教は? クライプ メソディストだった父親はとても信仰心が強くて、子どもの頃、よく教会に連れていかれました。しかし、私は大人になってからほとんど教会に行っていない。 --あなたは現在、自分をクリスチャンだとお考えですか? それともフリーメーソンの信徒なのでしょうか? あるいは、フリーメーソンリーはただの友愛団体であって、あなたの信仰はキリスト教なんでしょうか? クライプ これはとてもデリケートな問題なので、丁寧に答える必要があります。 片桐 クライプさんの今のお話は非常に大事なポイントです。僕は難しいことが苦手なので、ごくくだいた言い方で補足します。 クライプ フリーメーソンリーに対するいちばん主要な批判というのは、あらゆる宗教からあまりにも無節操に多くの人を受け入れすぎるという批判です。たとえば、バプティスト教会。この宗派はいちばん保守的な教会で、「あなたがバプティストでなければ、あなたは悪魔だ」とまで言い切ります。 -- キリスト教のなかでも、とりわけカソリックはメーソンを認めないという点では強硬ですね。1738年に教皇クレメンス12世が、フリーメーソンに対して最初の破門令を発表してから、現教皇のヨハネ・パウロ二世まで17回以上も破門の回勅が出されたそうですが、カソリック教会のこうした姿勢を、どうお考えですか? クライプ 教会の公式見解はともかくとして、信徒個人のレベルでは、実は、カソリック教徒でメーソンの会員という人もとても多いのです。たとえば、フィリピンはご存知のとおり、非常にカソリック教徒が多い国ですが、メーソンも非常に多い。カソリック教会のなかのビショップ=司教がメンバーだったりすることも珍しくありません。 思索的メーソンを中核とする近代フリーメーソンリーは、明らかにその出発点から、「脱カソリック」というオブセッションを内包していたといえるだろう。言い換えるならば、それだけカソリックの教権支配が、近世までヨーロッパでは強く、そうであるからこそ、その支配から逃れようとする衝迫も強かったに違いない。
--フリーメーソンリーでは「至高存在」を<G>という一文字であらわしますよね。フリーメーソンリーに入ると、最初に<G>について、ゴッドあるいはグレーと・オブ・ザ・ユニバース(宇宙の創造者)と説明される。ところが、そのうちにこれはジオメトリー(幾何学)だと教えられるという話を聞いたことがあります。これは何を意味しているのですか。人間の理性や知性への信仰ですか。 クライプ 最初に<G>はゴッドで、そのあとでジオメトリーだと明かされるということではありません。最初のレクチャーの二、三分の間に、<G>は神を意味すると同時にジオメトリーであるということを明かされるわけです。それは基本的には、教育を受けるとか、何かを学ぶということに関係があるんです。特に、幾何学がなかったら何も作れない。これは、フリーメーソンリーが、もともとは建築家の集団であったことに由来しますが、それだけではなく、今まで無知だった人間に知識が与えられる。そういう「啓蒙」の意味がこめられているんです。 片桐 幾何学がなぜ、フリーメーソンリーのなかで重視されるのか、これはイギリスの建築史を知る必要があります。12世紀から16世紀ぐらいの間にイギリスではゴシック建築が隆盛をきわめました。この400年間に1万2千の建物ができたという記録が残っているんです。ゴシック建築にはいくつかの特徴がある。一つはとんがった尖塔を造る。あれは、神様が上にいるから、なるべく近いところに行きたいという発想ですね。それから2番目の特徴は、丸いドーム型の天井です。複雑な力学的計算ができないと、これは造れない。
--伝統的な実務的メーソンが、集団を維持し、自分たちの利益を守るために閉鎖的な共同体を作る必要があった。これはわかるのですが、ではなぜ、上の階級に属する知識人や貴族やブルジョアなどが、この集団に入ってきたのか。どうも、その動機がよくわからない。当時のヨーロッパは強固な階級社会でしょう。上流階級の人間が、身分が高いとはいえない石工の集団に、なぜ自ら入っていったのでしょうか。 クライプ 私は歴史家ではないので、正しいことは言えないんですが、「フリー」という言葉が示すように、フリーメーソンはいろんな国へ移動して仕事をする事由が特別に認められていた。当時のヨーロッパは、現代のように交通も通信網も発達していないし、もちろんマスコミもない。移動の自由も制約されている。そんな時代にいろいろな場所を旅行する人というのは珍しい。フリーメーソンといわれる人たちは、いろんな場所に行って、そこにある程度住み着き、また戻ってくる。そうすると、普通の人が絶対に持ち得ないような知識や情報や見聞を持ち帰ってこれる。そうしたフリーメーソンだけが持ち得る貴重な情報や見聞に、知識階級や貴族は非常に強い関心と好奇心を抱いたのではないでしょうか。 片桐 実務的メーソンたちの結社に、石工ではない人間が入ってきたのは、最初は1600年といわれています。スコットランドのエジンバラ・ロッジです。オーチェンレックという土地のジョン・ボズウェルという小領主が入会したという記録が残っているのです。これが思索的メーソンの始まりとなるわけですが、その1600年から最初のグランド・ロッジの発足まで117年あるわけです。 前出の吉村正和氏は、「フリーメーソンリーは、一面ではイギリスの社交クラブ文化の産物」であると言う。
--近代フリーメーソンリーのなかには、成立当時の18世紀の最先端の思想だった啓蒙主義などが取り込まれている。と同時に、キリスト教会から異端として排除されてきたグノーシス主義や、ユダヤ教神秘主義のカバラ思想、錬金術などのオカルティックな思想やシンボルも盛り込まれている。合理的な啓蒙主義と非合理的な神秘主義という、一見、相矛盾する思想が共存しているのは、なぜなのでしょうか。 クライプ これも、私の個人的な意見なんですが、神というのは無限の存在です。そして人間には限界があります。有限な存在が、無限の神について判断することはできません。ですから、無限な存在である、あの神、その神、この神のどれが正しいということを、有限な存在である「私」が判断しようとすることは傲慢であり、実際、不可能なんですね。フリーメーソンリーのロッジのなかでは、宗教とか政治の話をすることは一切禁止されており、常に周囲との調和を大事にするように求められます。その一方で、ありとあらゆる宗教の信者、そして、いろいろな政治的理念を受け入れてきたのです。さまざまな思想やシンボルがフリーメーソンリーのなかに保存されているのは、そうした寛容の精神がもたらしたものではないでしょうか。 片桐 フリーメーソンリーは、オカルト結社である、とたびたび批判されています。33もの階級に分かれていて、階級を登るたびに秘密の教えを順番に説かれていくともいわれている。しかし、こういう話は、半分は本当ですが、半分は誤解です。まず、フリーメーソンリーには徒弟・職人・親方という三つの階級しかありません。しかしこのメーソンリーの付属団体として、スコティッシュ・ライト、ヨーク・ライトという二つの団体があり、こちらには一応、高位階が用意されています。とはいえ、メーソンリーの上部団体ではありえません。この二つはメーソンリーの哲学を詳しく勉強したい人のための団体なのですが、その教えをひとことで言えば、個人の尊厳が大事だということを説いているだけのことです。オカルト的・秘教的な教えを期待した人は、必ず失望します。
前出の湯浅氏は、フリーメーソンリーが爆発的な発展をとげたもう一つの理由として、大英帝国の帝国主義的拡張期に重なり合ったため、という説をあげる。 片桐 フリーメーソンリーのなかに、ユダヤ人が多いのは事実です。特に米国のニューヨークのロッジとか、ユダヤ人の居住人口が多い地域には多い。それでも、全米国のメーソン会員のなかに占めるユダヤ人の割合は一割に満たないはずです。一般の人口比から考えれば多いと思いますけれど、それはユダヤ人が一般社会のなかで差別されてきた、それに対し、メーソンは差別をしなかった、そういう歴史的理由によるものです。ユダヤ人あるいはユダヤ教徒は、キリスト教社会のなかで徹底的に差別されていましたから、彼らにとって、宗教によって差別をしないメーソンリーはオアシスのようなものだったでしょう。ロッジの外ではまともに相手にしてもらえないキリスト教との市民たちと、同党に友愛を結ぶということが可能となったわけですから。彼らが「こんなにありがたいものはない」とこぞって入会したのは当然だと思いますよ。宗教によって差別をしないということは、先ほども言いましたが、もともとはキリスト教内部の問題だったのです。18世紀に入るまでに旧教と信教の対立があり、そのために戦争まで起きていた。そういう悲劇を繰り返さないためにも、宗派を超えて友愛の関係を結ぼうという考え方が生まれ、それを実践に移そうとしたのがメーソンだったわけです。後にこうした宗教的寛容の精神が拡大され、ユダヤ教徒や仏教徒やイスラム教徒にも適用され、今日のような世界的な広がりをもつに至ったわけです。もちろん、ユダヤ人がフリーメーソンリーをコントロールしているとか、フリーメーソンリーはユダヤ人の秘密結社であるとかいった噂は、根拠のない中傷にすぎません。そもそもフリーメーソンリーには、組織全体をコントロールする中央指令部のようなものは存在しません。 クライプ フリーメーソンリーがユダヤ人と君で世界を支配しようとしているなどというのは、まったく無責任なデマです。そもそもフリーメーソンリーが政治的に動いて政府を倒すとか、団体として政府に反対することは不可能なんです。 片桐 フリーメーソンリーは決して、反社会的行為を認めない。入会の儀礼のときにも、自分が住んでいる国の法律を厳守することを誓約するのです。たとえば、私は十年あまりシンガポールに住み、ロッジにも入会していましたが、そこではシンガポールの法律を守らなくてはいけないと約束させられました。このルールを破った者がいたら、我われはきちんと処分します。その場合の処分は、三段階に分かれます。まずは警告。次に資格停止。最後には追放です。追放処分となると、他のロッジに入ることも二度とできません。 --大変うがった見方かもしれませんが、こういう規則はフランス革命と米国の独立戦争のあとから作ったんじゃないですか? それともその前からあったんでしょうか? フランス革命に関わった有名なオルレアン公やロベスピエール、ミラボーなどはみんなメーソンでしたね。彼らは革命を扇動する演説をしたり、革命的な行動をとったということで、フリーメーソンリーから除名されたんでしょうか? 私が調べた限りでは、そうした事実は認められないのですが。 クライプ いま言われた、フランス革命などについては、私に歴史的な知識がないのでなんとも答えられません。 片桐 現在ある憲章のすべてが、ずっと昔から成文化されていたとは確かに言えないでしょう。あらゆる人間の集団のルールがそうであるように、試行錯誤を重ねてできあがったものだと思います。「居住する国の法を守れ」という規則が生まれたのは、やはり苦い経験を積んだからでしょう。フリーメーソンリーは世界各地にありますが、現地の法律を守らないと、やはりその国の政府ににらまれますから。「違法行為」の最たるものは、やはり国家権力の転覆をはかる革命の謀議でしょう。 PR |
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