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2007 12,26 15:00 |
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日本のいちばん安い日
■日本パッシングという問題 あちこちで既報のとおり、モルガン・スタンレー(以下MS)がこの9-11月期で94億ドル(1兆円超)の損失を計上し、同時に中国政府系ファンドから50億ドル程度の出資を受けることが明らかになった。その一方で、計画されていたシティ・バンカメ・JPモルガンによるサブプライム向けのスーパーSIVプランが白紙になった。 これらの動きについて、すでにBlog界隈ではあれこれ議論が噴出している。たとえばぐっちーさんが「日本パッシング」を懸念すれば、切込隊長は「それが日本の判断なのでは」と反応するなど、読み応えのある議論があちこちで展開されている。 結論としては、それぞれ見方の問題であって、どちらが正しいという類の話ではない。むしろ問われているのは「あなたはどの立場・立ち位置からこの問題を捉えますか?」ということであり、その意味でも以前のエントリで述べた読み手の力量が問われている。ただ、それだけで突き放せるほど軽い問題とも思えず、私なりに補助線を引いてみたいと思う。
前述の二つの動向を並べて見た時に、私がまず感じたのは、「潮目が変わったな」ということである。ぐっちーさんも触れているが、MSの1兆円損失計上を皮切りに、この先の四半期であちこちの投資銀行から「うちは8000億円飛びました、うちは2兆円弱でした」というような発表がなされるだろう。一方でそれは、先送りや飛ばしのようなグレーな決着は、資本市場的にも(また社会的にも)許されず、何らかの損失計上の決断をしなければならない状況にあることも意味している。スーパーSIVが見送られたのはその証左だろう。 こうした話を、いわゆる日本人的な感覚で捉えると、「各社損して社長はクビ、みんなガックリ」というように読んでしまうかもしれない。しかし現実はその逆で、一連の損失計上は、それを補う新たな資本を獲得できたことの宣言と考えるべきだろう。すなわち、損失を計上しても事業が続けられるスキームが見つかった(折り合いがついた)ということであり、だからこそ未曾有の損失を公表できたのである。 そしてこれは、彼らが「買うモードに入った」ということをも意味する。単純なことで、新たな出資者(プリンシパル)は当然それに見合ったパフォーマンスを投資銀行(エージェント)に求めるからだ。この解釈に従うと、冒頭の「パッシング」と「それが日本の判断」という議論は、前者が「買う側に入るべき」、後者が「買われる側となるべき」という主張だと解釈できる。
そうした動きがあり、また以前のエントリで触れたように、MSが本格的な上陸を果たす今、日本はどうポジションを取るべきか。冒頭の議論の本質はそこにあるのだが、私は概ね後者の「買われる側となるべき」と考えている。その理由は大きく二つで、まずは今の日本は「買う側」に全面的に回れる立場にない、ということだ。 もちろん日本でも少なくない企業が、資本レベルを含め積極的に海外展開を進めている。しかしより大きな括りで考えた時、たとえばGoogleがトヨタの時価総額を上回ろうとしている反面、たとえば民放キー局の生殺与奪を握る電通の時価総額がわずか8000億円に過ぎない今、日本が「世界を買う」などというのはやはりおこがましい。また「買ってからどうする」という準備(スキルの向上やシミュレーション)も、残念だがほとんどできていない。 また実際、日本が買う側としての名乗りを上げにくい(=パッシングされても仕方のない)状況にもある。すでにMSの「ご本尊」が中国と密接な関係にあることは各方面で予想されていたし、ブラックストーンはすでにそう公表している。またゴールドマンサックスの売上の1/3程度がアジア圏であること、あるいは中国政府がSWF(政府系ファンド)をすでに数兆円規模「から」スタートさせることなど、諸々を勘案すると、営業コストの観点から見ても米国の相手が中国となるのは今日としては合理的な判断である。
こう並べてみると「日本は中国に買われてしまうの?」という問いかけが出てくるのもやむを得ないとは思う。ただこの問いの前に、そもそも「買ってもらえるかさえ分からない」という現実を直視する必要があることを理解しなければならない。特に今回の一連の中国による出資が、この数年のうちに訪れるであろう中国経済のバブル崩壊に備えた動きであろうことを考えると、彼らは相応のハイパフォーマンス運用を求めるはずだ。 その期待に応えられる日本企業は多くはなく、十分な峻別を必要とされるだろう。その上で私は、買ってもらえる余地があるなら、買ってもらうのも一つの手だと考えている。というのは、その存在が企業活動を阻害する元凶となってしまった人たちには、法人・個人を問わず、やはり退場していただかなければならない、と改めて感じているからである。 たとえば、見た目はハデに消費者の味方的な動きをしている一方で、事業基盤の強化を怠ってサービス品質をどんどん悪化させ、また無理な値引きで背負った負債を周辺国の関連会社に飛ばし、その国の経済不安によって負債が環流し、慌てふためいている企業。あるいは世界市場におけるsamsungやLGの台頭を直視せず「テレビ受像器の興隆」を信じ続けている経営者。またビジョンばかりで売上を立てようともしない企業や、反対に売上ばかりでビジョンを見失った企業。そしてそんな課題から目を背ける従業員…こうした明らかに退場願いたいケースは、正直なところ私の周辺だけでも枚挙に暇がない。 そんな法人・個人に退場を促す道具として、資本の論理はある程度有効である。もちろん資本がすべてというわけではない(むしろ私は「資本は資本でしかない」とも思っている)し、「資本」と「現場」はある一線で分け隔てられていることからプリンシパル-エージェント問題が起きやすく、過度の楽観は禁物だ。しかしえげつない言い方だが、あの人さえいなければ…といった経営者に対して、「KPIを設定して未達ならクビ」という荒技が一応は使える。そしてこうした動きが加速するなら、洋の東西を問わず出資を肯定すべきと考える人は、私のみならず、実は企業の中にも若手を中心に相当数存在している。
もちろん、日本を変えてくれるならなんでもいい、というわけではない。今回の一連の動きの中でも、一部には「札束で横っ面を引っぱたく」ような連中は存在するし、またおそらくブラックであろう筋も含まれている。避けられるなら避けたい話だし、それに向けた対策は進めるべきだ。ただそれでも、出資によってプライドを傷つけられるような企業や人もいるだろうし、何らかの「事件」が生じる可能性すら否定できない。そしてその時にはおそらく相当劣情的・扇情的な報道がなされるのだろう。このあたりは概ね予想できる話である。 しかし、それによって前述のような流れが変わり、結果として退場すべき人たちが生き残るのだとしたら、むしろそれこそが国難だというくらい、私は最近危機感を新たにしている。私自身も常に言葉が足らず、自らの能力の限界に歯痒い思いをしているのだが、それでもあまりに問題の認識力が弱い人が経営者然として影響力を行使していたり、あまりに人任せでいい加減に運営されている企業を見るにつけ、そもそも説明や説得によってどうにかなる問題ではないのかもしれない、と思ってしまう。 ならば多少のリスクを引き受けた上で、もはや日本以上に資本主義の申し子である中国のマジメな人たちの存在をレバレッジに、「もう少しちゃんと仕事しようよ」という流れを作り出し、動くことこそが必要なのではないか。そしてそれを推進するためには、資本を含めて経営や事業を整えることでパフォーマンスが向上する企業や人をきちんと資本レベルから引き立ててもらうことであり、その原資として彼らの一部はちゃんと受け入れるべきではないか…それが「買われる側となるべき」と私が考えるもう一つの理由である。 もちろん、「いや、やはり自らの手でなんとかすべきだ」とか「買われることの本当のリスクを見極めていない」という反論はあると思う。そうした意見はむしろ歓迎で、ぜひこれを契機に、今私たちは何が課題で、それをどう解決すればいいのか、という議論を進めていただきたいと思う。少なくとも冒頭で紹介したようにBlogでこれだけ充実した議論が展開されているのだから、それらを読んで自らの立ち位置を考えてみるだけでも、おそらくこの先の5年10年の過ごし方や身の処し方が大きく変わると、私は思う。 PR |
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