2024 11,23 19:31 |
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2008 12,08 09:00 |
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日本では非常に大切な決断をした大東亜戦争 開戦日です。 大東亜戦争(第2次世界大戦)には、色々な見方があります。 戦争にも色々な背景があります。独身の方には実感として それは何故か?・・・それは「子供や家族を守る!」その一点につきます。 国外脱出・・・・・??どこへ?・・・いずこへ?・・・・・?? イザとなったら、現実はそんなに甘くないですよ! 本日は「大東亜戦争 開戦日」です。 そして・・・・・下記を出来たら観て下さいませ。お願い申し上げます。 http://f45.aaa.livedoor.jp/~crazy/1941128/1941.12.8.htm 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
■■ Japan On the Globe(576)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■ 地球史探訪: 自衛戦争か、侵略戦争か ─────────────────────────────────── ◎過去に名言をご紹介した人物の一例◎ 人の心は、日々接するものによって大きく変わります。 ★☆いますぐご登録を!★☆ ■1.自衛戦争か、侵略戦争か■ 1951(昭和26)年5月3日、ダグラス・マッカーサー元帥は、 日本は絹産業(蚕、かいこ)以外には、固有の産物はほ もしこれらの原料の供給を絶ち切られたら、1千万から この5年前に開かれた東京裁判では、キーナン検事が冒頭陳 彼らは文明に対し宣戦布告をしました。彼らは起訴状に 「日本が世界を支配しようとして侵略戦争を起こした」という マッカーサーはどこからこのような史観を学んだのか。それ ■2.「東條証言の影響はおそらく深刻なものになるであろう」■ 東京裁判で、東條の供述書が朗読されたのは、昭和22 東條は、その供述の最後に、「摘要」として次のような総括 私は・・・1941(昭和16)年12月8日に発生した戦争 供述書朗読の後、12月31日から、キーナン検事の東條尋 東條の証言は、キーナンに完全に勝っています。東京裁 「その通り。きわめて心配である」とマッカーサーも同意し、 ■3.「米英蘭の合従連衡による対日経済圧迫の事情」■ マッカーサーの指摘した「これらの原料の供給を絶ち切られ 米英蘭政府は日本の仏印(ベトナム)進駐に先立ち、緊 以下、東條はフィリピン、イギリス、オランダでも同時に ■4.「日本の経済生活は破壊せられんとした」■ 供述は続く。 右のごとく同じ日に「アメリカ」「イギリス」「オラン その結果は日本に対する全面的経済断交となり、爾来 この結果が、マッカーサーの証言で「1千万から1千2百万 ・・・ことに石油は総て貯蔵に依らねばならぬ有様であ まさに日本は国家の生存権を奪われ、座して死を待つ状態に 日本を経済的な麻痺状態に追い込むと同時に、米国は対日軍 この当時米英側の一般戦備ならびにその南方諸地域にお 同年12月には米国は51カ所新飛行場建設および改善 しかも依然として米英豪其他の陸海空軍の大拡張が継続 なお1941年(昭和16年)10月下旬には「ノックス」海 日本側は鉄も石油も輸入を止められ、その軍事力は日々衰弱 こうした点について、キーナン検事と東條は法廷において次 キーナン 1940年9月、アメリカは日本に脅威を与えてお 東條 ここの証拠を提出しているように、相当の圧迫 キーナン 私はあなたに軍事的脅威があったかどうかを尋 東條 昭和15年5月と思います。アメリカの大艦隊 キーナン アメリカが自国の半島や島々に飛行場や設備を 東條 それはアメリカがどう考えるかは勝手であって、 アメリカの大軍拡、およびハワイでの大艦隊集結は争うこと もっともアメリカの軍備拡張が「防衛的意味」を持ってはい ・・・米英蘭豪の政情及軍備増強は益々緊張し又、首謀 例えば1941年11月10日には「チャーチル」英首相は その翌々日「イギリス」の「ジョージ」6世閣下は議会 「ルーズベルト」大統領はその前日である休戦記念日に於 日本を経済的に追い詰め、大軍拡による戦争準備を進め、そ ■8.「米国は日本の受諾し得ざることを知りて通知」■ こんな状況の中でも、日本政府は外交交渉を通じて戦争を回 この2案を承認した御前会議で、昭和天皇は明治天皇の御製 四方(よも)の海みな同胞(はらから)と思ふ世になど を読み上げられ、「自分はこの明治天皇の平和愛好の御心を実 米国がこれへの回答として送ってきたのが、「ハル・ノート」 これを受け取った日本政府は「米国案の過酷なる内容に唖然 米国は右条項は日本の受諾し得ざることを知りてこれを ここに至って、日本政府はようやく対米英戦争を決意した。 東條供述書は次の一節で締めくくられている。 戦争が国際法上より見て正しき戦争であったか否かの問 第一の問題は外国との問題であり、かつ且法律的性格の 第二の問題、即ち敗戦の責任については当時の総理大臣 昭和23(1948)年11月4日、東京裁判の判決が下され、東 東條は清瀬弁護人に対して「再審請求は行わないでほしい。 我ゆくもまたこの土地にかへり来ん国に報ゆることの足ら ■リンク■ 1. 渡部昇一『東条英機 歴史の証言』★★、祥伝社、H18 PR |
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