素敵なAquarium ひと時の癒しに!
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1883年(明治16年)のこの日、麹町山下町に明治政府が14万5000円をかけて 建設した迎賓館「鹿鳴館」がオープンした事に由来します。
煉瓦造りの2階建ての美しい建物は、 英国人ジョサイア・コンドルの建設によるもので、 外国貴賓の接待や社交の場として 毎夜のごとく舞踏会が開催されたそうです。
1階に大食堂、談話室、書籍室など、2階が舞踏室になっていて、 分かれた 3室を開け放つと100坪ほどの広間になり、 バーやビリヤードも設備されていたんだとか。
華やかにみえる舞踏会ですが、貴婦人たちはいろいろと大変だったようで、 政府高官の妻や貴族女性の中には突然の西洋化に戸惑う人も沢山いたようです。 当時は外国人と接するのを嫌う女性が多かったため、 やむなく芸者を連れてきて外国人のダンスパートナーに させていたりもしたそうです。
下記リンクのサイトが、とても詳しいですよ♪ ダンス天国・鹿鳴館 Shall We Dance? (1996) - Trailer
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これから2月半ば迄【季節の言葉74】
正確には小正月が終わった1月16日から2月20日あたり迄なのですが、 我が家の玄関に飾る絵をご紹介します。
玄関には色々な方々がいらっしゃる為、 例えば、宅急便の方や、郵便屋さんとか、学校の先生や・・・・・ 勿論、ご近所さんとか友人とか・・・・・
なので、出来るだけポピュラーなもの・・・・・ 観た記憶があるものや、意味の判りやすいものを心掛けています。
床の間には、茶道・華道の覚えのある方に判りやすいものを、 リビングや階段等なら明るいものを・・・という風に・・・・・ それぞれ季節感に合わせて考えています。
まぁ~そのほかの各部屋は、完全に趣味の世界なのですが・・・・・
・・・で、玄関に限り、これからご紹介して行こうかなぁ~・・・・ なんて思っています。
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[2回]
小正月は別名、望正月(もちしょうがつ)、望年(もちどし)、 若年(わかどし)、若正月(わかしょうがつ)、二番正月、小年(こどし)、 花正月、女正月(おんなしょうがつ)とも呼ばれています。
女正月(おんなしょうがつ)は、元旦から七日までを男正月と呼ぶのに 対して・・・という説と、松の内を多忙に過ごす女性たちが、 十五日を年礼の始めとしたので女正月と呼ぶ説とがあります。
本日は、今年最初の辰の日『初辰』です。
この日に『初辰詣り』をすると特に商売に御利益があるとされております。
「はったつさん」の名で親しまれ、大阪の住吉大社などでは 商売繁盛を願う多くの人出で賑わいます。
「はったつさん」には「商売発達」の意味も込められているようです。 さすがは商売の街として栄えてきた大阪という気が致します。 住吉大社といえば初辰さん(はったつさん) =商売発達=
正月七日。人日は、江戸時代の公式な祝日(式日)であった 『五節供』の最初の節供で、「七日の節句」とも言います。
ちなみに節句はもとは「節供」と書き、 『五節供(五節句)』とは以下の通りです。
人日(じんじつ)の節供 正月七日 別名:七草の節句
中国の古い習俗に由来する。 この日、七草粥を食べ邪気をはらう風習がある。 七草を刻む際、鳥追い歌(これを七草囃しという)を歌う習俗もある。
上巳(じょうし)の節供 三月三日 別名:桃の節句・雛祭り・重三・草餅の節句
元は三月の最初の「巳の日」。 古くは河で禊ぎをし汚れを祓い、また身代わりに人形に汚れを移して 河や海に流した。江戸時代以降は、雛祭りとして庶民にも定着し、 女子の節句とされた。
端午(たんご)の節供 五月五日 別名:菖蒲の節句
元は五月の最初の「午の日」。 古くはこの日薬草摘みを行い、摘んだ蓬や菖蒲を門口に飾った。 菖蒲(ショウブ)の語が「尚武」に通じるとして武士の台頭に従い、 庶民にも浸透し立身出世を願い幟や兜飾りを行うようになった。男子の節句。
七夕(しちせき)の節供 七月七日 別名:笹の節句・たなばた
中国から伝わった牽牛星と織女星の星祭り伝説が元。 日本では古来からあった「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説との類似性から 七夕の日として定着。女子が裁縫や手芸、書道の上達を願う行事も各地に残る。
重陽(ちょうよう)の節供 九月九日 別名:菊の節句・重九
易で陽数の極である「九」が重なることから目出度い日とされた。 この日は菊の花を飾り、丘などに登って邪気をはらい長寿を祈る風習が 中国にあり、これが日本に伝わったもの。 宮中では「観菊の宴」を開き長寿祝う節句の中でもっとも公的な性格が強いもの。 民間にはさほど定着していない。
12月も下旬に入り、日の暮れがやたらと早いなぁ~・・・と思ったら、 本日12月22日は『冬至』です。
いやぁ~まだ庭の球根植え等が全て終わっていないにも関わらず クリスマス寒波が襲来するって・・・・・勘弁して欲しいなぁ~・・・・・ それでなくとも年末は色々な行事が重なっていて忙しいのにぃ~・・・・・
・・・で、 冬至は「一年で一番昼の時間が短い日」とか「太陽が一番南に下がる日」 冬至カボチャの日とか、柚湯の日・・・って覚えている人もいるのかなぁ~
実際、冬至は一年で一番日(昼)の短い日なのです・・・が、 冬至の日が日の出が一番遅くて日暮れが一番早いわけではありません。 朝日が昇るのが一番遅い時期は一月の上旬、 日暮れが一番早いのは十二月の上旬なのですよぉ~・・・
今では12/23が天皇誕生日の祝日。その後の12/24・25はクリスマス(&イブ) ・・・ということで、冬至の影が薄らいでしまった気もしますが、 暦の上ではとても大切な日ということで、それにまつわる行事が色々有ります。
なので、京都の『冬至』にまつわる事を中心に紹介してみたいと思いますので 興味のある方は、"つづきはこちらです"をクリック!
芸舞妓ら「おめでとうさんどす」花街で事始め 迎春の雰囲気
京都の花街や旧家などで今年一年の感謝を込め、 本家や得意先などを回る伝統行事「事始め」が13日、京都市内であります。
東山区では、祇園の芸舞妓たちが芸事の師匠宅やお茶屋を訪れ、 一足早く「おめでとうさんどす」と新年のあいさつを交わします。
京舞井上流家元、井上八千代さん宅のけいこ場では、 弟子たちから届けられた鏡もちがひな段にずらりと並び、迎春の雰囲気を醸します。
午前10時ごろから、京舞を習う芸舞妓らが次々に訪問。 彼女らは順に1人ずつ丁寧に両手をつき、「来年もおたの申します」と頭を下げます。 にこやかに応じた八千代さんは、弟子の体調などを気遣いながら 「これからも頑張りよしや」などと声をかけ、祝いの舞扇を手渡します。
朝の目覚め 心の目覚め
朝の目覚めで心が開花して そして自らの意志で陽光に手を伸ばす。。。
一日の始まりは気持ち良く♪
Water Lilies Blooming - Timelapse
water lilies blooming - timelapse from Vincenzo Di Nuzzo on Vimeo.
[1回]
春の知らせ『啓蟄』【季節の言葉67】
本日3月6日は『啓蟄(けいちつ)』です。
「二十四節気」の一つなのですが、あまり「二十四節気」は知らないけれども、 『啓蟄(けいちつ)』だけは学校で習ったから覚えているぅ~・・・・ ・・・って方々が多いのでは?!・・・って思っています。
大気が温まるにつれ地中で冬眠をしていた虫たちが 戸を開き、穴から出てくるころ・・・・・って意味ですね。
「蟄」とは冬眠している様子を言い、「啓」とは動作や行動をするということです。
本日から『春分』までの期間を『啓蟄』というんですが、 「二十四節気」をさらに季節分けしたのが「七十二候」で、
初候 :蟄虫啓戸(ちっちゅう こを ひらく):冬蘢りの虫が出て来る
次候 :桃始笑(もも はじめて わらう):桃の花が咲き始める
末候 :菜虫化蝶(なむし ちょうと けす):青虫が羽化して紋白蝶になる
ちなみに「二十四節気」も「七十二候」も中国で考案されたもので、 紀元前から使われていたというから驚きです。 日本で使われだしたのは9世紀ごろからです。
『啓蟄』の季節を虫等には喩(たと)えずに、
『柳若葉芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ』 ・・・とも言いますね♪
この『柳』は、梅や桜とともに『春』を代表する景物として、 とても親しまれています。
「万葉集」の大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が、
『わがせこが見らむ佐保道の青柳を手(た)折りてだにも見むよしもがも』(巻八) 『うちのぼる佐保の川原の青柳は今は春べとなりにけるかも』(巻八)
などと詠まれています。また「古今集」では素性法師の
『見わたせば柳さくらをこきまぜて宮こぞ春の錦なりける』(巻一春歌上)
そのほかに紀貫之の
『青柳のいとよりかくる春しもぞみだれて花のほころびにける』(巻一春歌上)
また「和漢朗詠集」には、慶滋保胤の
『東岸西岸の柳遅速同じからず、南枝北枝の梅開落已(すで)に異なり』
「芭蕉」もよく発句や付句(つけく)に『柳』を詠んでいて、
『吹度に蝶の居なをる柳哉』 『古川にこびて芽をはる柳かな』 『輪乗する若衆に暮るる柳哉』
・・・・・等々、二十数句ほどあります。
春ですねぇ~・・・・・♪♪
『啓蟄』と言えば京都では『土筆(つくし)』なのですが、 ワタシが『啓蟄』で思い浮かべたのが赤塚不二夫さんの「ケムンパス」・・・・・ ワタシの発想とは、こんなレベルでして・・・・・なんだかなぁ~・・・・・
「番頭はんと丁稚どん」 舞台は大阪・船場の薬屋「毎宝堂」 丁稚(大村崑・茶川一郎・芦屋小雁) 番頭役は芦屋雁之助 籔入り(やぶいり)【季節の言葉66】
月の始まり、すなわち第1日を「ついたち(一日・朔日)」と言います。 ついたちは、「月立つ」の音変化で、月の始まりを意味します。 ついたちは大事な日であるとしてものごとのけじめにしていました。
いまは週休制ですが、明治から昭和の初期までの労働者の多くは 月初めの1日と月半ばの15日の2日間が休日でした。
農村は年中無休、百姓に休みは不用という苛酷な時代で、 それをカバーする意味で、村々で野休みを設けたり、 あるいは盆、正月、祭りが農休日だったりしました。
江戸時代や明治のころは現在のように工業が発達していませんでしたから、 いわゆる工場労働者は少なかったようです。 その時代の勤め人の多くは商店の丁稚(でっち)小僧、 もしくは親方のもとに住み込む職人でした。
商店の丁稚(でっち)小僧はほとんどが住み込みで、 京都や江戸・大坂は、商店が経済の中心でした。
年中無休に近い商店の丁稚(でっち)小僧たちは年に二度、 盆と正月にゆっくり親元へ帰る特別休暇をもらった。 これを『薮入り』と言いました。
[3回]
京都 三千院「わらべ地蔵」 小正月(こしょうがつ)【季節の言葉65】
『鏡開(具足開)』【季節の言葉64】
明日11日は「鏡開」です。・・・って言っても京都では4日ですし、 もともと全国的には20日に行われていたのですから、 「二十日正月(骨正月・頭正月)」の行事の一つだったのでしょう。 「二十日正月(骨正月・頭正月)」は正月行事の総決算の日ですから・・・ ・・・って事で、関東以外では20日の処も多いようです。
上記写真は京都の代表的な「鏡餅」ですが「三宝」を使用していません。 何故『三宝』を使用しないのか?
1月8日(穀日:こくじつ・穀の日)【季節の言葉63】
一月八日は穀物の日で、この日に穀を占って、 晴天ならば吉で幸があり、雨天ならば凶の兆しであるとされていました。
そして、昨日の「人日」を含め、
一月七日 人日 一月八日 穀日 一月九日 豆日 一月拾日 綿日
上記四日間が、天気晴朗なれば豊作であるとされてきました。
・・・って言っても、上記の事を知っている方は非常に稀で、 多分ネットでググッてみても「穀日」の項目以外は、 ドコにも無いかと思います。(現在の処は)
『菱葩餅(ひしはなびらもち)』【季節の言葉62】
本日七日は、京都・裏千家にて『宗家初釜式』が 十三日まで行なわれます。東京では十六日から二十日までです。 『宗家稽古始め』は二十四日です。
京都で『菱葩餅』と言えば1月の和菓子として、 もしくは、お裏さん(裏千家)の"初釜"に出される茶菓子として よく知られています。
昔から宮中の新年のお祝い料理に出される餅で、 葩(花弁:はなびら)をかたどったものです。 「お祝いかちん」とも言い、"かちん"は餅の女房言葉です。
直径十五センチ、厚さ約六ミリの丸餅を火であぶり、 その上にあずき色の菱餅のあぶったのを重ね、二つ折りにして、 間に甘く練った白味噌をまぶした牛蒡(ごぼう)の砂糖煮をはさんだ餅を 白い美濃紙に包んで天皇・皇后に献上しました。
雉子酒(きじざけ)と一口ずつ交互に召し上がるのがしきたりです。
現在、お裏さん(裏千家)の"初釜"に『菱葩餅』が使われていますが、 元々は天皇・皇后、宮中のものでしたので、明治時代にようやく 裏千家家元十一世玄々斎が初釜のときに初めて使うことを許可されました。
雉子酒(きじざけ)とは、正月に宮中に参賀した人に賜った酒で、 熱燗の中に焼いた雉子(きじ:鳥のキジ)の肉を入れたものです。 "雉子"は古くから美味なものの代表として宮中や貴族の間で 好まれた食材です。
吹上の霞まぢかき雉子酒かな・・・・・山県瓜青
酒井三良『雪に埋もれつつ正月はゆく』 七日正月(人日:七日の節句・七草の節供)【季節の言葉61】
中国の古い習俗に由来します。 この日、七草粥を食べ邪気をはらう風習があります。 七草を刻む際、鳥追い歌(これを七草囃しという)を歌う習俗もあります。
元は三月の最初の「巳の日」。 古くは河で禊ぎをし汚れを祓い、また身代わりに人形に汚れを移して 河や海に流しました。江戸時代以降は、雛祭りとして庶民にも定着し、 女子の節句とされました。
元は五月の最初の「午の日」。 古くはこの日薬草摘みを行い、摘んだ蓬や菖蒲を門口に飾りました。 菖蒲(ショウブ)の語が「尚武」に通じるとして武士の台頭に従い、 庶民にも浸透し立身出世を願い幟や兜飾りを行うようになりました。男子の節句。
易で陽数の極である「九」が重なることから目出度い日とされました。 この日は菊の花を飾り、丘などに登って邪気をはらい長寿を祈る風習が 中国にあり、これが日本に伝わったものです。 宮中では「観菊の宴」を開き長寿祝う節句の中でもっとも公的な性格が強いもの。 民間にはさほど定着していません。
『松納(まつおさめ)』【季節の言葉60】 写真=「根引松(ねびきのまつ)」という京都特有の門松
『松納』は、ほかに「松上り」「松倒し」「松下し」「松送り」 「松引」「松直し」「お松払い」「松取る」「門松取る」などとも言います。
『松納』とは、門松を取り払うことを言います。 松飾りのある間が松の内、松の内が済むと松過ぎといいます。 松納めの日は、東京では六日が多く、京阪方面では十四日が多いなど、 地方によって様々です。
松納めを行うのは夕刻で、
夕月の光を加ふ松納・・・・・深見けん二
・・・のように、松納めの背景は冬の夕景色なんです。
門松を取り払うと、正月らしい日々が終わったという感慨があります。 そこには一抹の淋しさとともに、明日からまた平常の暮らしが始まる という決意や思いが込められていると思います。
松とれて俄に雪の山家かな・・・・・松根東洋城 松取りて柴門常にもどしけり・・・・・安住 敦
松納めと同様に『飾納(かざりおさめ)』も同日に行います。
『飾納』は、ほかに「注連飾取る」「注連取る」「飾取る」「飾卸」 「お飾こわし」などとも言います。
注連飾りなど、新年の飾り物をはずすことです。 取り払った松飾りや注連(しめ)飾りなどを集めて燃やす行事を 『左義長(さぎちょう)』と言います。
霙(みぞ)るるや木戸の輪飾り外すにも・・・・・長井東門居 濁世(じょくせ)へと飾はづしてしまひけり・・・・・渡辺恭子
写真=六日祭:花奪い祭 1月6日(馬日:ばじつ・六日年・六日年越)【季節の言葉59】
一月六日は別に「六日年」または「六日年越」とも言われ 一月七日が「七日正月」と称して式日であったところから、 一月六日を年をとり直すという意味で祝いました。
昔は、関東から関西にかけて麦飯に鰯(いわし)を添えて祝ったり、 九州地方や中部地方でも色々な民俗行事が行われていました。 しかし、今では一部の祝福行事を残して廃れているのが現状です。
六日はや睦月は古りぬ雨と風・・・・・内藤鳴雪 かけかへて鶴の相舞ふ六日かな・・・・・松根東洋城 橋七つ渡り六日も暮れにけり・・・・・結城静子
一月六日に行われる行事の一部をご紹介します。
『六日祭』(花奪い祭・長滝の延年) 岐阜県白鳥町、白山の開祖泰澄(たいちょう)大師の創建と伝えられる 長滝白山神社の祭礼で「花奪い祭」ともいわれます。 天井に吊るされた、和紙で作った桜、牡丹など五種の造花を 若者たちが肩車をして奪い合い、?ぎ取った花をさらに参拝者が奪い合う 勇壮な祭りです。 延年(長寿を願い、法要の後などに演じられる歌舞)も奉納されます。
花奪ひの白牡丹欲し桜欲し・・・・・加藤三七子 花奪ひの人垣を抜け雪舐むる・・・・・栗田やすし
『賓頭盧廻し(びんずるまわし)』 長野県長野市、善光寺で、普段は本堂妻戸壇(つまどだん)右脇に 安置されている賓頭盧(釈迦の弟子)尊者像を、妻戸壇の周りを 三度回して移動させる行事です。 翌日からの御印文頂載(ごはんちょうだい、もしくは、ごいんもんちょうだい) と七草会(ななくさえ)に備えて、参拝者の流れをよくするためでもあります。 参拝者には杓子が配られ、これで尊者像をなでると一年の来福と無病息災が 得られます。
賓頭盧に負はす身弱の妻の厄・・・・・西本一都 旅人も混り賓頭盧曳き廻す・・・・・小林侠子 お賓頭盧廻せと鉦鼓滅多打・・・・・東條素香
上賀茂神社・新年竟宴祭 1月5日(牛日:ぎゅうじつ)【季節の言葉58】
一月五日ともなると、ほとんど正月気分が薄らいできますが、 昔は一月五日に宮中で叙位(じょい)が行われていました。
・・・ということで、一月五日に行われる行事の一部をご紹介します。
『五日戎(いつかえびす)』 奈良の"戎さん"(えべっさん)は五日です。 奈良県奈良市南市町にある"事代主命(ことしろぬしのみこと)"を祀る 南市恵比須神社は、市場の守護神であり、この神社の初戎のことです。 この日の参道ではお守り、俵、金袋などを付けた福笹(吉兆笹)や 籠、熊手等が売っています。
『上賀茂神社・新年竟宴祭(しんねんきょうえんさい)』 上賀茂神社は、正式名を賀茂別雷(かもべつわけいがずち)神社といい、 雷(いかづち)の力であらゆる災難を取り除くから「厄除け」、 鬼門の守り神ということから「方除け」に御利益大です。 『新年竟宴祭』は、鎌倉時代から伝承されてきたもので、 新年の祭事の締めくくりにあたるもの。 (早朝)新年の儀の祭典は新年の諸神事が無事とどこおりなく終わったことを 祭神に報告し、饗食を供えるもの。 (夕刻)引き続いて平安雅楽会による舞楽が橋殿にて奉納されます。
『稲荷大社大山祭』(注連張神事) 京都市伏見区にある伏見稲荷大社の祭事。 神職が稲荷山御膳谷に登り、七十枚の斎土器(俗に耳土器ともいう)に 中汲み酒(濁酒のうわずみとよどみの中間を汲んだもの)を注ぐ。 かつては、これを参拝者が奪い合ったが、怪我人が多く、現在は禁止されて います。土器を得れば商売繁盛のほか良い酒ができるとされ、酒造関係の 参拝者が事の他多いです。
楽人を随(したが)へ谷へ大山祭・・・・・金久美智子 大山祭験(しるし)由々しき杉の香に・・・・・尾池葉子 土器(かわらけ)を受けて杜氏や大山祭・・・・・柴田靖子
『八千枚大護摩供 (はっせんまいおおごまく)』 修学院離宮にほど近い天台宗の赤山禅院(せきざんぜんいん)は延暦寺の別院。 慈覚大師円仁の遺命により888(仁和4)年、天台座主・安慧(あんね)が創建。 本尊は天台守護神の「赤山明神」。 これは陰陽道の祖である中国の泰山府君(たいざんふくん)のことで 商売繁盛の神様。 1月5日に行なわれる『八千枚大護摩供』(はっせんまいおおごまく)は、 本殿前の鳥居にかかる「正環念珠の輪」をくぐり、 一年間の方除け、家内安全、心願成就、延寿福楽を祈念する行事です。 護摩修法は比叡山の千日回峰行を修めた阿闍梨(あじゃり)が執り行ない、 人間の煩悩を焼き尽くし災いを除き幸せを招くため、 参詣者の願いを込めた護摩木8000枚が焚き上げられます。
『坂部(さかんべ)の冬祭』(霜月神楽)(1月4~5日) 長野県天龍村神原の坂部地区にある諏訪神社の祭礼です。 近隣の向方、大河内などでも行われていますが、形態が多少異なります。 基本的な形は湯立て神楽で、炉をきって湯釜を据え、その周囲で夜を徹して 様々な神楽が演じられます。神子(祭りを司る地元の方々)は一昼夜以上 不眠で、クライマックスの火伏せの舞を迎えます。 元来は霜月(陰暦十一月)の行事で、明治以前は十二月二十六日に行われて いました。
星連れて霜月神楽更けにけり・・・・・矢島渚男
岡本太郎 『寿』 1月4日(羊日:ようじつ)【季節の言葉57】
三が日が終わって、銀行などが仕事を始める日です。 農村や漁村なども、ぽつぽつと仕事始めとなります。 勿論、株式相場も『大発会』の日です。 世の中が八割方動き出す日であり、年賀状も減ってきて、 正月気分も徐々に薄らいで行くころでもあります。
鏘然(しょうぜん)と四日のピアノに目覚めたり・・・・・林 翔 美しき女医に診らるる四日かな・・・・・山口善一郎 雀らに四日の布団干しにけり・・・・・吉田鴻司 戸一枚開けて四日の生薬屋・・・・・辻田克巳
河合 映秀 『百福』 1月3日(猪日:ちょじつ)【季節の言葉56】
楽しかった正月の三が日も最後の日となり、 あっけないような寂しいような気持ちとなる一月三日。
貞享五年(一六八八)の『日本歳時記』などには、 この日まで雑煮を食し屠蘇を飲むと書かれていて、 気持ちの区切りをつける日でもありました。
作例にも、
炉がたりも気のおとろふる三日かな・・・・・飯田蛇笏(だこつ)
三日はや峡(かい)のこだまは炭曳くこゑ・・・・・加藤楸邨(しゅうそん)
・・・があり、正月三日のなんとなく内省的な気分がにじみ出ています。
また正月三日という日は、かつて皇居内では元始祭(げんしさい)が 執り行われ、もっともめでたい日とされていました。